パキスタン人民党(読み)パキスタンじんみんとう(英語表記)Pakistan People's Party

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パキスタン人民党」の意味・わかりやすい解説

パキスタン人民党
パキスタンじんみんとう
Pakistan People's Party

略称 PPP。 Z.A.ブットー首相が 1967年9月に結成した社会主義政党。共和制,直接選挙,基幹産業の国有化,労働者,農民の生活向上,国防参加,親中政策などを主張している。 77年3月7日の総選挙で,有効投票の 59%,200議席中 155議席を獲得する圧倒的勝利を収めたが,9つの野党の連合体であるパキスタン民族同盟は選挙に不正があったとして獲得した 36議席を放棄,反政府スト,不服従運動を指導,全土で騒乱状態が続き,同年7月5日の軍部クーデターに発展し,ブットー首相は逮捕,軍事裁判で死刑宣告を受け,79年処刑された。この間同党党首はブットー夫人が代行していた。 86年5月には長女 B.ブットーが夫人とともに共同総裁に就任。 88年 11月,民政復帰後の総選挙で第1党となり,B.ブットーがイスラム圏初の女性首相に就任した。しかし 90年8月,ブットー首相は職権濫用などを理由に解任され,同年 10月の総選挙で PPPは惨敗。 93年 10月の総選挙では第1党に返り咲き,ブットーが第2次政権を組織した。だが,96年 11月ブットーは再び解任され,97年2月の総選挙で PPPも敗れた。

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世界大百科事典(旧版)内のパキスタン人民党の言及

【パキスタン】より

…パキスタンは建国以来最も深刻な国家的危機に直面した。 71年12月にヤヒヤー辞任をうけ新大統領となったパキスタン人民党(PPP)のZ.A.ブットーは,〈東〉なきパキスタンの復興に全力をあげた。ブットー路線は,民間企業国有化などの〈社会主義化〉と〈民主主義〉を強調した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」