ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ
1960年,読売アンデパンダン展(日本アンデパンダン展)に出品する赤瀬川原平,荒川修作,風倉匠(省作),篠原有司男,吉村益信ら,20歳代の青年が結成した反芸術的集団。同年4月,第1回展(銀座画廊)開催。のち岸本清子,田中信太郎,吉野辰海らが加わり,工藤哲己や三木富雄も外部から行動をともにした。彼らは,アンフォルメル全盛の時期に,絵画や彫刻をはみだす行為と物質の意義にめざめて,第1回展ののち安保反対デモに加わり,吉村のアトリエや鎌倉材木座海岸で儀式めいたショーをつづけたが,夢想的な東京都美術館爆破計画に挫折し,5ヵ月で空中分解。やがて荒川,吉村らがニューヨーク,工藤がパリに渡って四散した。
執筆者:針生 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のネオダダイズムオルガナイザーズの言及
【パフォーマンス】より
…このことは,ニューヨーク美術界の刺激を受けて活気づいていた〈読売アンデパンダン展〉([日本アンデパンダン展])出品作家たちの活動と,ケージに学んだ一柳慧(いちやなぎとし)や小野洋子らの媒介でしだいに日本にも形成されはじめたさまざまな芸術グループにもあてはまる。ともに1960年創立の〈グループ音楽〉(小杉武久,刀根康尚,塩見千枝子ほか),〈[ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ]〉(篠原有司男(うしお),吉村益信,風倉省作ほか),62年10月の車中パフォーマンス《山手線事件》や63年5月の街頭パフォーマンス《第一次ミキサー計画》のメンバーによる〈ハイレッド・センター〉(赤瀬川原平,中西夏之,高松次郎ほか)などは,互いに相互関係をもっただけではなく,〈暗黒舞踏〉の土方巽(ひじかたたつみ)や実験映画グループ〈ヴァン映画科学研究所〉(足立正生ほか)などとも,また海外の〈フルクサス〉とも横断的な関係をもった。 1960年代の日本のパフォーマンス活動が与えた影響には計り知れないものがあり,その遺産を演劇や映画に活用した芸術家の一人として寺山修司がいる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」