怪奇映画(読み)かいきえいが(英語表記)fantastic film

改訂新版 世界大百科事典 「怪奇映画」の意味・わかりやすい解説

怪奇映画 (かいきえいが)
fantastic film

さまざまな超自然現象を扱った映画の総称。ミシェル・ラクロの分類によれば,幽霊ゾンビ(歩く死骸),吸血鬼,狼男,シレーヌ(人魚),神と悪魔,天国と地獄,透明人間,霊媒,復活,死後に他の肉体に宿る魂,二重人格,透視力,幻覚,夢遊状態,ゴーレム(生命を吹きこまれた土人形)等々を扱った映画が含まれる。

怪奇映画のもっとも古いテーマは,《フランケンシュタイン》と《ジキル博士とハイド氏》の二つの文芸作品から生まれ,いずれも1908年に映画化されているが,映画史的には,怪奇映画の源流は,第1次世界大戦直後に始まる〈ドイツ表現主義映画〉(表現主義)に発するというのが定説である。ロベルト・ウィーネ監督の《カリガリ博士》(1919)がその典型で,〈怪奇映画の真の青写真〉と呼ばれ,〈狂人博士-怪物-襲われる美女〉のパターンをつくった映画ともいわれている。次いでブラム・ストーカー原作《吸血鬼ドラキュラ》の初の本格的な映画化であるF.W.ムルナウ監督の《ノスフェラトゥ》(1922)が現れる。すでに,大戦1年目の14年に,《ノスフェラトゥ》の脚本を書いたヘンリク・ガーレンの脚本,シュテラン・ライとパウル・ウェゲナー監督で,ユダヤ伝説による《ゴーレム》の初の映画化が行われるなど,サイレント期のドイツ映画が,怪奇と幻想映画の源流であったのは確かである。

 一方,当時から,ヨーロッパの映画状況と作家をすばやく移入していたハリウッドは,ドイツからパウル・レニ(《裏町の怪老窟》1924)を呼んで《猫とカナリア》(1927)などをつくらせ,デンマークからベンヤミン・クリステンセン(《謎のX》1914,《妖術》1921)を招いて,《悪魔の曲馬団》(1926)などを撮らせた。このようにアメリカ映画は,20年代後半から30年代前半にかけて,ドイツ表現派の主要作品(リメーク)と人材を吸収したのである。

トーキー時代に入って,ユニバーサル映画が製作した2本の怪奇映画がヒットした。1本はトッド・ブラウニング監督の《魔人ドラキュラ》(1931)である。その主役は,最初,グロテスクな変装演技で天才をうたわれたロン・チェニーが予定されたが,彼は自分は〈人間〉を演じたいからと主張して断り,そのチェニーが没した30年に,舞台でドラキュラを〈スプーフ〉,すなわちパロディとして演じて話題となったベラ・ルゴシに役が回った。いかにも舞台そのもののおおぎょうでユーモラスな芝居で,以来,アメリカではこれがドラキュラの典型となった。《魔人ドラキュラ》は,〈世にも不思議な愛の物語〉という女性向きの惹句(じやつく)で,聖バレンタイン・デーに封切られた。深夜に女性の血を吸う青白き魔人の,倒錯したロマンティシズムエロティシズムの伝承は,ジョン・バダム監督,フランク・ランジェラ主演の《ドラキュラ》(1979)にまで受けつがれて一つの系譜をなしている。

 もう1本のヒット作は,ジェームズ・ホエール監督の,SFともいえる《フランケンシュタイン》(1931)である。この作品は,〈ドイツ表現派〉の中で,もっとも直接的にハリウッドの怪奇派horror schoolに影響を与えた《巨人ゴーレム》(1920)の意識的な焼直しと評され,また,《カリガリ博士》の眠り男チェザーレとカリガリ博士を告発する狂人フランシスを一本化したモンスターともいわれたが,これを演じた無名の悪玉役者ボリス・カーロフの,パテを塗った垂れ瞼からのぞく三白眼のすごみと,世にいれられぬ人造人間の悲哀は,観客に強くアピールし,正統の続編7本(カーロフは最初の3作のみに出演)は,類似モンスターやカリカチュア,パロディを生み,博士フランケンシュタインの名が,モンスターの名として誤用されるに至った。

ユニバーサル映画は,〈ミイラ〉〈透明人間〉〈狼男〉などの怪奇シリーズを次々に送り出したが,やがて衰退し,40年代の後期まで細々と命脈を保っていたが,ついには同社のアボット=コステロ喜劇に,まとめてゲスト出演(《凸凹フランケンシュタインの巻》1948)という形となった。デビッド・パイリーによれば,1934年以後,ヘーズ・オフィス(ハリウッドの自主検閲機関)によって怪奇映画が〈不道徳〉のレッテルをはられて以来,下り坂となり,例外的に40年代に,RKO映画のバル・ルートン製作の低コストによる〈雰囲気スリラー〉(ジャック・ターナー監督《キャット・ピープル》1942,《生と死の間》1943。ロバート・ワイズ監督《幽霊屋敷の呪い》1944,《死体を売る男》1945,など)があり,また,トッド・ブラウニング監督《悪魔の人形》(1936),ローランド・V.リー監督の《フランケンシュタインの復活》(1939,カーロフ最後のモンスター役),ロバート・シオドマーク監督のドラキュラ物《夜の悪魔》(1943)等々が,ジャンルの伝統を守り続けたが,そのほかはリメークが主で,結局,二流のジャンルに堕したという。いずれにしても,怪奇映画は50年代のSF映画の台頭につれて影を潜めるが,これは,放射能や科学実験による突然変異としての生物の巨大化(《放射能X》1953,《ハエ男の恐怖》1958,など)や,人間が縮小したため相対的に生物の巨大化と同じパニックに陥る(《縮みゆく人間》1957)といった設定で,つまりはSFがモンスターの肩代りをしたともいえる。

60年代は,毒々しい色彩効果によるエロティシズムとサディズムを加味したイギリスのハマー・プロ作品(テレンス・フィッシャー監督,クリストファー・リー,ピーター・カッシング主演《吸血鬼ドラキュラ》1958,等々)と,一連の〈エドガー・アラン・ポー物〉によって,異常心理がらみの幻想劇という独自のイメージを繰り広げたアメリカのAIP作品(ロジャー・コーマン監督,ビンセント・プライス主演《アッシャー家の惨劇》1960,等々)が活況を呈する一方,フランスではジョルジュ・フランジュ監督《顔のない眼》(1960),ロジェ・バディム監督《血とバラ》(1960)といったポエティックな怪奇幻想の心理劇がつくられたが,もっとも注目すべきはヒッチコックの《サイコ》(1960)という真にエポックを画する恐怖映画が生まれたことで,以後の怪奇,SF,恐怖映画のジャンルは,すべて〈サイコ以後〉の名でくくることも可能なくらい決定的に《サイコ》の,ヒッチコックの影響を受けることになる。ウィリアム・キャッスル監督《第三の犯罪》(1961),《血だらけの惨劇》(1964),ロバート・アルドリッチ監督《何がジェーンに起ったか?》(1962)から1970-80年代の〈モダン・ホラー・ムービー〉(怪奇的なムードで話を運び,結末のどんでん返しを利かせたものが多い)に至るまで,そうである。《サイコ》以後の古典的な正調怪奇映画といえば,おそらくソ連の,コンスタンチン・エルホフとゲオルギウ・クロパチョフ共同監督の,ゴーゴリ原作(《民話集》の1話《ヴィー》)の映画化《妖婆死棺の呪い》(1967)くらいなものだろう。

 70年代に入り,ウィリアム・フリードキン監督の《エクソシスト》(1973)が登場する。少女にとりついた悪魔と,悪魔ばらいの神父の対決を,スペクタクルとして描いたこの作品のヒットは,従来の怪奇映画の,低予算のげてものという印象を,アカデミー賞受賞監督が撮った一流大作のイメージにまで高め,一連の〈神対悪魔〉物の先鞭をつけ(その前ぶれとしては,ロマン・ポランスキー監督の《ローズマリーの赤ちゃん》(1968)がある),〈オカルト〉なることばを日本にも定着させた。しかしそれは,一方において,大作もどきの物語のつじつまを無視したどぎついショックだけが売物の作品の輩出を招いた。

日本の場合は,怪奇映画というよりも,被害者の怨念が,加害者(個人)やときにはその血縁者にとりつく〈怪談映画〉が主流を占め,同じたたりでも,のろわれた場所へ入りこんだ人々が恐怖を体験する欧米型(ロバート・ワイズ監督《たたり》1963,ジョン・ハフ監督《ヘルハウス》1973,など)とは対照的である。その〈怨念〉の伝統は,戦前の鈴木澄子,戦後の入江たか子主演の〈化猫〉映画から続いているが,そうした中から,溝口健二監督の《雨月物語》(1953),中川信夫監督の《東海道四谷怪談》(1959),《怪談牡丹灯籠》(1970,テレビ作品),加藤泰監督の《怪談お岩の亡霊》(1961)などが生まれた。とりわけ,中川信夫監督の《地獄》(1960)は,日本には珍しく心理的要素の濃い怪奇幻想劇である。また,江戸川乱歩作《パノラマ島綺譚》《孤島の鬼》などに基づく石井輝男監督の《恐怖奇形人間》(1969)は,マッド・サイエンティストを日本的怨念の風土に配した異色作である。また,《巨人ゴーレム》を,日本の時代劇(悪徳領主の圧制)に置きかえた特撮ファンタジー《大魔神》シリーズ(1966)などのように翻案物の怪奇映画もある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の怪奇映画の言及

【イギリス映画】より

…しかし,もともとアメリカ人であったレスターは,その後イギリス映画界にとどまらず,彼のもっとも尊敬するアメリカ喜劇の王様バスター・キートンにオマージュをささげた《ローマで起った奇妙な出来事》(1966)とともにアメリカに戻った。
[その他のイギリス映画]
 イギリス映画を特徴づける主要な傾向として,1950年代以降,世界的に注目され,あるいは〈名物〉となった,いわゆる〈フリー・シネマ〉と〈ハマー・プロ〉の怪奇映画がある。A.コルダが死去し,イーリング撮影所がBBCに売却された56年に,L.アンダーソン,K.ライス,T.リチャードソンによる〈フリー・シネマ〉運動が旗揚げされる。…

【SF映画】より

…次いで1902年,フランスの奇術師G.メリエスがJ.ベルヌの空想科学小説から初の〈SF映画〉《月世界旅行》を完成した。 第1次世界大戦直後の19年,ドイツ表現主義映画の最初の傑作として名高いR.ウィーネ監督の《カリガリ博士》が,マッド・サイエンティスト(狂った科学者),その実験から生まれた怪物,怪物に襲われる美女という〈怪奇映画〉のパターンを創造した。さらに,フリッツ・ラング監督の《メトロポリス》(1926)は,表現派というよりも初の本格的SFスペクタクルであり,ロボットを作る実験室のエピソードや,バベルの塔建設の幻想などを,〈シュフタン・プロセス〉による特殊効果を駆使して描いた壮大な作品だが,興行的な失敗から製作会社のウーファを破産寸前に追い込んだ。…

【ハマー・プロ】より

怪奇映画の代名詞にすらなっているイギリスの映画会社。その製作内容は,怪奇映画のみならず,時代物(コスチューム・プレイ),SF,戦争映画,推理物など多種多様である。…

※「怪奇映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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