ナムティエン(英語表記)Nam Tien

改訂新版 世界大百科事典 「ナムティエン」の意味・わかりやすい解説

ナムティエン (南進
)
Nam Tien

ベトナム民族が10世紀から19世紀にかけて,北部から南部へ先住民族をおしのけて拡大していった運動。ベトナム民族の故地であるソンコイ川(紅河)デルタ(トンキン・デルタ)は,すでに紀元前数世紀より開拓され,15世紀ころには一部の沼沢地や沿岸部を除いて開拓しつくされた。このため飢饉の発生のたびに,大量の人口が中部,南部のチャム族クメール人の地に移動していった。これに加えて中国の中華思想の影響を受けた伝統王朝は,異文化地帯への拡張政策に熱心だった。リ(李)朝の1104年にリ・トゥオン・キエット(李常傑)がクアンビン,クアンチ地方をチャムから奪い,1307年にはフエ以北を割譲させ,さらに1471年ホンドゥック(洪徳)帝はビンディンのビジャヤ城を落としてチャンパを滅亡させた。17世紀以降ではクアンナム(広南)朝がクメールの地であった南部に進出し,1697年には現ホー・チ・ミン市にザディン府をおき,18世紀中にほぼ南部全域を領域化した。グエン(阮)朝はこれをひきついで南部のベトナム化を完成した。
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