トニー ブラウン(英語表記)Tony Brown

現代外国人名録2016 「トニー ブラウン」の解説

トニー ブラウン
Tony Brown

職業・肩書
ラグビー選手

国籍
ニュージーランド

生年月日
1975年1月17日

本名
Brown,Tony Eion

学歴
オタゴ大学

経歴
羊の毛刈り職人の父にラグビーを教わる。オタゴ大学在学中の20歳で州代表に選ばれ、翌年プロに転向。1999年対サモア戦でニュージーランド代表(オールブラックス)にデビュー。同年のW杯に出場。同じSOポジションに世界的なプレーヤーアンドリュー・マーテンズらがいたり、膝の故障もあり、2001年以降は代表から遠ざかる。2004年低迷していた三洋電機(ワイルドナイツ)に請われて来日。2008年3月プレーイングコーチとしてチームの初の日本一に貢献。同年10月タックルを受けて外傷性膵炎になり、一時危篤状態に陥るが、1ケ月余りに及んだ入院生活の後、マイクロソフトカップ決勝復帰。日本選手権では主にリザーブメンバーとして出場し、特に決勝では後半から投入されて試合の流れを変え、チームの日本選手権連覇に大きく貢献。2010年にはチームを日本選手権3連覇に導いた。現在、ワイルドナイツのアドバイザーを務める。現役時代は179センチ、84キロ。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「トニー ブラウン」の解説

トニー ブラウン
Tony Brown
ラグビー

ラグビー選手
生年月日:1975年1月17日
国籍:ニュージーランド
別名等:本名=Tony Eion Brown
学歴:オタゴ大学
経歴:羊の毛刈り職人の父にラグビーを教わる。オタゴ大学在学中の20歳で州代表に選ばれ、翌年プロに転向。1999年対サモア戦でオールブラックス(ニュージーランド代表)にデビュー。同年のW杯に出場。同じSOのポジションに世界的なプレーヤーアンドリュー・マーテンズらがいたり、膝の故障もあり、2001年以降は代表から遠ざかる。2004年低迷していた三洋電機(ワイルドナイツ)に請われて来日。2008年3月プレーイングコーチとしてチームの初の日本一に貢献。同年10月タックルを受けて外傷性膵炎になり、一時危篤状態に陥るが、1ケ月余りに及んだ入院生活の後、マイクロソフトカップ決勝で復帰。日本選手権では主にリザーブメンバーとして出場し、特に決勝では後半から投入されて試合の流れを変え、チームの日本選手権連覇に大きく貢献。2010年にはチームを日本選手権3連覇に導いた。現在、ワイルドナイツのアドバイザーを務める。現役時代は179センチ、84キロ。

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