ティトー(英語表記)Tito

翻訳|Tito

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ティトー」の解説

ティトー
Tito (本名 Josip Broz)

1892~1980

ユーゴスラヴィアの政治家,大統領(在任1953~80)。ティトーは呼称クロアチアの農家に生まれる。初等学校卒業後,錠前工となり,1910年には社会民主党員となる。ハプスブルク帝国の一兵士として第一次世界大戦に従軍した。ロシア戦線で負傷し捕虜としてロシア革命を体験した。20年に帰国すると,新たに結成されたユーゴスラヴィア共産党に入党。非合法活動を行い,34年には党中央委員会政治局員となり,37年には党書記長に就任した。41~45年のパルチザン戦争の時期には,総司令官として対ドイツ抵抗運動を指揮した。戦後連立政権でも社会主義政権下のユーゴスラヴィアでも,元首に選出された。48年にユーゴスラヴィアがコミンフォルムから追放されると,50年から自主管理社会主義をめざし,外交面では非同盟政策を推進した。71年から集団指導体制を発足させ,74年から終身大統領となるが,80年に死去。ティトーの死後,経済危機にともない民族主義が表面化し,旧ユーゴスラヴィアは解体の道を歩んだ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ティトー」の解説

ティトー
Tito
本名 Josip Broz

1892〜1980
ユーゴスラヴィアの政治家・初代大統領(在任1953〜80)
第一次世界大戦中,ロシア軍の捕虜となり,ロシア革命に参加。1924年帰国。第二次世界大戦中,ドイツ軍のユーゴ侵略にパルチザン(ゲリラ)を組織して抗戦。1945年首相となり,独自の民族主義的社会主義の政策(ティトー主義)をとったため,48年コミンフォルムから除名された。以後,西欧諸国に接近したが,スターリンの死後,東欧諸国と友好関係を回復。対外的には積極中立外交を堅持した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ティトー」の意味・わかりやすい解説

ティトー

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20世紀西洋人名事典 「ティトー」の解説

ティトー


チトーを見よ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のティトーの言及

【チトー】より

…ユーゴスラビアの革命家,政治家。ティトーとも書くが,正しくはティトと発音する。本名ヨシップ・ブロズJosip Brozで,ブロズ・ティトとも名のった。…

※「ティトー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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