チェルニウツィ(読み)ちぇるにうつぃ(英語表記)Чернiвцi/Chernivtsi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェルニウツィ」の意味・わかりやすい解説

チェルニウツィ
Chernivtsi

ウクライナ南西部,チェルニウツィ州州都。ロシア語名チェルノフツィ Chernovtsy,ルーマニア語名チェルナウツィ Cernăuți,ドイツ語名チェルノウィッツ Czernowitz。東カルパート山脈の北麓にあり,プルト川南岸の高い崖上に位置する。1408年頃の文献に記録が残る古い町で,ブコビナの名で知られる地域の中心都市であった。その後,オスマン帝国に支配され,1774年にはオーストリア=ハンガリー帝国に割譲された。第1次世界大戦後はルーマニア領,1940年にはソビエト連邦に吸収された。20世紀初頭には貿易中心地として、またリビウリボフ),テルノーピリ(テルノーポリ),モルドバ、ルーマニアに通じる鉄道の重要な分岐点として発展した。毛織物綿織物,木材加工,食品加工の工業がある。市域はプルト川に沿って 11km以上にわたって広がり,左岸低地に新たに市街地がつくられている。チェルニウツィ大学(1875),医科大学がある。歴史的にウクライナ人,ルーマニア人,ユダヤ人,ドイツ人,アルメニア人などの住民が混在していたが,現在はウクライナ人が多い。人口 24万621(2005推計)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「チェルニウツィ」の意味・わかりやすい解説

チェルニウツィ
ちぇるにうつぃ
Чернiвцi/Chernivtsi

ウクライナのチェルニウツィ州の州都。ルーマニアとの国境に近いカルパティア山脈北麓(ほくろく)に位置し、プルート川上流に沿う。1944年までチェルノビツィЧерновицы/Chernovitsïと称した。チェルニブツィともいう。ロシア語ではチェルノフツィ。人口24万1000(2001)、26万1924(2018推計)。少なくとも1408年から記録に記され、17~18世紀の教会が残る。鉄道交通の中心地。電子機器、織物、縫製、皮革などの工場があり、食肉油脂精糖(テンサイ糖)などの農産物加工も盛ん。1875年創立の大学、民族建築博物館がある。

渡辺一夫

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