ダーイー(読み)だーいー

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダーイー」の解説

ダーイー
dā‘ī

「人を正しき道へと誘う者」が原義で,イスラームにおける宣教者を意味する。この称号初期ムータジラ派ホラーサーンアッバース家運動でも用いられたが,特にシーア諸派の運動と結びついた。イスマーイール派ファーティマ朝の建国運動では,イマームに任命された秘密のダーイーたちが重要な役割を果たした。ドルーズ派ニザール派(アサッシン)でも用いられた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のダーイーの言及

【アッバース朝】より

ウマイヤ朝(661‐750)時代,幾度かの内乱や反乱が起こったが,そうしたウマイヤ家の支配に反抗する者たちの間から,イスラム教団国家の最高責任者として,イスラム法を施行できる唯一の資格ある者は,預言者ムハンマドの家族,すなわち〈ムハンマド家〉出身者でなければならず,その点ウマイヤ家は資格なしとする思想がしだいに広がった。ムハンマドの叔父アッバースの子孫であるアッバース家は,この思想を利用してウマイヤ朝打倒の地下運動を起こし,最高指導者が誰であるか名前を伏せたまま秘密の宣伝者(ダーイー)を各地に派遣した。この革命運動は,とりわけイランのホラーサーン地方で成功を収め,747年,宣伝者のアブー・ムスリムが在地のアラブ人や改宗イラン人を率いてメルブ(マルウ)近郊で武装蜂起し,やがて彼の派遣した軍隊はイラクに攻め込んで,749年にはアッバース家の当主サッファーフ(アブー・アルアッバース)がクーファでカリフたることを宣言,翌年にはエジプトに逃走したウマイヤ朝最後のカリフ,マルワーン2世が殺され,アッバース朝が正式に成立した。…

※「ダーイー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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