タキン・タン・トン(読み)たきんたんとん(英語表記)Thakin Than Tun

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タキン・タン・トン」の意味・わかりやすい解説

タキン・タン・トン
たきんたんとん
Thakin Than Tun
(1911―1968)

ビルマ(現ミャンマー)の政治家。ラングーン師範学校在学中から政治活動に入る。1936年、民族主義者グループ「タキン党」(党員は自分の名前に「主人(タキン)」を冠した)に加盟、1940年ビルマ防衛法に基づき逮捕。1942年日本軍政下の中央行政府に農相として入閣。1943年共産党入党、1944年抗日組織反ファシスト人民自由連盟に加盟。1946年党分裂に際し多数派「白旗共産党」を率い、1948年独立とともに反政府武装蜂起(ほうき)を主張して地下活動に転じた。1968年9月部下に狙撃(そげき)されて死亡

[黒柳米司]

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20世紀西洋人名事典 「タキン・タン・トン」の解説

タキン・タン・トン
Thakin Than Tun


1911 - 1968.9
ビルマの政治家。
ミャンマー白旗共産党党首。
タウングー県生まれ。
1936年タキン党に入党後、反英運動で逮捕される。第二次世界大戦中の日本軍政下の中央行政府において農相を務めた後、’43年共産党に入党、’44年反ファシスト人民自由連盟書記長として、反英運動を指導する。’46年共産党の分裂にともない白旗共産党を率い、’48年の独立以降地下活動に入ったが、’68年部下に狙撃されて死亡した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報