クワズールー・ナタール(読み)くわずーるーなたーる(英語表記)Kwazulu-Natal

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クワズールー・ナタール」の意味・わかりやすい解説

クワズールー・ナタール
くわずーるーなたーる
Kwazulu-Natal

南アフリカ共和国東部にある州。旧ナタール州。1993年の暫定憲法の成立により従来の4州が9州に再編されたことに伴い、ナタール州は改名されてクワズールー・ナタール州となった。西はレソトと接し、東はインド洋に面する。面積9万2180平方キロメートル、うち2万6836平方キロメートルはズールー人の自治区クワズールー(旧称ズールーランド)であった。人口871万3000と9州中最大(1996)。うち白人は60万1000、インド人79万9000、カラード(混血有色人)10万7000、黒人720万6000。州都ピーターマリッツバーグ。都市化率は37.6%と低い。

 インド洋に沿う平野部は農業に適し、とくにサトウキビと柑橘(かんきつ)類の大プランテーションがあるほか、トウモロコシ、野菜などの栽培が行われる。西部のドラケンスベルク山脈の斜面は豊富な森林資源で、鉱産物としては石炭がある。ダーバン・パインタウン工業地域は南ア共和国第4位の工業地域で、金属、化学、製紙、食品加工、製鉄、石油精製、肥料、缶詰などの工業がある。ダーバン港はケープ・タウンと並んで同国の有力な港の一つである。南アGDP(国内総生産)に占める同州の割合は14.7%。主要産業は製造業、商業、金融・保険業、運輸・通信業、農業の順となっている。1人当りの所得は6681ラント(1994)。

[林 晃史]

歴史

19世紀初めズールー人のシャカ王はナタール一帯を統合して一大王国を築いた。第2代のディンガネ王は内陸大移動をしたブーア人(オランダ系移民)と衝突し、1838年「血の河の戦い」で敗れ、ブーア人がナタール共和国を建国した。1844年ケープ植民地に併合され、1856年イギリス領ナタール植民地となった。1860年代にズールー人の居留地ズールーランドがつくられ、南ア共和国の土地隔離政策の先駆けとなった。同じころ、沿岸部のサトウキビ・プランテーションの労働力としてインド人が移入され、その後、彼らは土着化してナタールのインド人人口が増大した。1897年ズールーランドが併合され、1910年、南アフリカ連邦の成立とともに、その一州となった。1986年、ナタール州の白人とクワズールーの首相であったブテレジは、南ア共和国の人種差別政策(アパルトヘイト)の解決策の一つと称して、白人・黒人平等の州議会をつくった。1994年、アパルトヘイトが廃止され、大統領N・マンデラの政権下にナタール州はクワズールー・ナタール州として再編成された。

[林 晃史]

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