キュビエ(読み)きゅびえ(英語表記)Baron Georges Léopold Chrétien Frédéric Dagobert Cuvier

デジタル大辞泉 「キュビエ」の意味・読み・例文・類語

キュビエ(Georges Léopold Cuvier)

[1769~1832]フランスの動物学者。化石動物を研究して、比較解剖学を打ち立てるとともに古生物学の基礎を確立。進化論に反対し、天変地異説を提唱した。

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精選版 日本国語大辞典 「キュビエ」の意味・読み・例文・類語

キュビエ

(Georges Cuvier ジョルジュ━) フランスの動物学者。動物界を四部門一五群に分ける分類表を作成。また、比較解剖学的研究によって化石を調べ、古生物学を創始。ラマルクの進化論を否定して、天変地異説をたて、種の不変を主張した。(一七六九‐一八三二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キュビエ」の意味・わかりやすい解説

キュビエ
きゅびえ
Baron Georges Léopold Chrétien Frédéric Dagobert Cuvier
(1769―1832)

フランスの古生物学者。フランス南東のモンベリアルに生まれる。シュトゥットガルトで教育を受け、比較解剖学に興味を抱き、伯爵家の家庭教師をしながら海産動物を研究した。自然史博物館の解剖学教授(1795)、コレージュ・ド・フランスの自然史教授(1800)、パリ植物園の解剖学教授(1802)を歴任した。ブロンニャールとの共著で、パリ盆地周辺の化石層序を初めて明らかにした(1811)。また、世界各地の化石脊椎(せきつい)動物を現生動物と比較して記載分類し、比較解剖学を通して古生物学の基礎を確立した(1812)。たとえば断片的な遺骸(いがい)から化石動物を復元したり、化石動物の筋肉の復元にあたっては骨の上の筋肉の痕(あと)を利用することをした最初の一人である。急激な天変地異がおこってそのたびに古い生物が絶滅し新しい生物が出現すると考える激変説(天変地異説)を提唱したが、ライエルやラマルク、ジョフロア・サンチレールなどに反対された。フランス学士院会員、パリ大学総長を務めたほか、ナポレオンに重用され、視学官として教育行政に貢献し、国会議員(1814)、男爵(1831)、内務大臣(1832)などに列せられ、数々の栄誉に輝いた。事実を吸収し分析する才能をもつ、実証主義的傾向を代表する学者で、当時の生物学界の権威と仰がれたが、優れた独創的理論家ではなかった。

[小畠郁生]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キュビエ」の意味・わかりやすい解説

キュビエ
Cuvier, Georges Léopold Chrétien Frédéric Dagobert, Baron

[生]1769.8.23. モンベリアール
[没]1832.5.13. パリ
フランスの動物学者。科学としての比較形態学および古生物学の基礎を確立した。ドイツシュツットガルトの「カルル学院」で法律学を修めた (1784~88) のち,貴族の家庭教師をしながら海産動物 (特に軟体動物) を研究 (88~95) 。その成果が E.ジョフロア・サン=ティレールに認められてパリの自然史博物館館員 (95) ,コレージュ・ド・フランスの博物学教授 (1800) となった。彼は,『比較解剖学講義』 Leçons d'anatomie comparée (全5巻,1800~05) で,動物の体はまとまって全体をなしていて,それを構成するそれぞれの器官は機能的に互いに相関し合っているという相関の原則 (キュビエの原則) を明らかにして,化石をもとにして過去の動物の形態を復元することを可能にした。彼はさまざまな深さの地層から掘出した化石の復元作業を行なって,現生の動物とは異なる脊椎動物がかつて存在したこと,地層とそこに含まれる化石の種類との間に対応関係があるのを認めて地層が古いほど現生の動物との差異の大きな動物化石を含むことを明らかにした (12) 。キュビエは種を不変と考えていたので,これを動物の進化してきた跡を示すものとは考えず,天変地異が繰返されてそのたびに動物は絶滅したと説明した。また動物の分類を試み,動物界には互いに独立な4つの構造上の型,すなわち脊椎動物,関節動物,軟体動物,放射動物が存在すると主張して,現生動物に復元された化石動物を加えた全動物種をこれら4群に分類した。これに対して,ジョフロア・サン=ティレールは,すべての動物に共通な型が存在するとの見解を示して,両者間で論争が展開された (30) 。実証を重んじる彼の学風は当時のフランス知識社会に歓迎され,科学アカデミー書記官となり (03) ,学界で権勢をふるい,J.ラマルクの進化思想にも反論した。彼の行なった諸発見は,後年の C.ダーウィンの進化論形成の際に重要な資料となった。また彼はナポレオン1世に重用されて,教育行政にもたずさわった。

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改訂新版 世界大百科事典 「キュビエ」の意味・わかりやすい解説

キュビエ
Georges Léopold Chrétien Frédéric Dagobert Cuvier
生没年:1769-1832

フランスの比較解剖学・古生物学者。ジョフロア・サン・ティレールに認められて,ジャルダン・デ・プラントの比較解剖学の教授となる。その後ナポレオン時代パリ大学の副総長となり教育行政にまで腕を振るい,王政復古後にも権勢を維持しつづけた。動物に四つの型(脊椎動物,軟体類,関節類,放射類)をみとめ,各器官,各部分は特定の機能に媒介されて調和的に統一されている(相関の説)ことを主張した。これによって種に固有な不変領域が明示されることになった。さらに各機能特性(感覚機能,神経機能,循環機能など)の間には,重要さの程度において従属関係が存在することを主張し,生物体の諸部分の相対的価値を規定した(特性の従属関係の説)。主著に《比較解剖学講義Leçons d'anatomie comparée》(1801-05)がある。進化論との関連では,生物の化石の記録を論じていたこと,生物を除去する機能としての“競争”という概念を提示していることなどが挙げられる。しばしばJ.B.deラマルクとの対立関係から進化論の敵対者といわれるが,むしろ先行者である。地質学的には激変説をとった。
執筆者:

キュビエ
François Cuvilliés
生没年:1695-1768

ドイツの建築家。ベルギーで生まれ,バイエルン選帝侯マクシミリアン・エマヌエルに登用されてミュンヘンで活躍。軍事建築家として出発したが,パリのJ.F.ブロンデルの下でフランス宮廷建築を習得後,1725年以降バイエルン宮廷建築家としてより装飾性の強いロココ建築を発展させた。ミュンヘン王宮内のライヘ・ツィンマー(1734),王宮劇場(1755),ミュンヘン近郊ニュンフェンブルク宮殿庭園内のアマーリエンブルク(1739)などに優美な内部空間を創造した。有能なスタッコ細工家を採用し,植物をモティーフとしたロココ装飾と建築の融合を行った。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「キュビエ」の意味・わかりやすい解説

キュビエ

フランスの動物学者。シュツットガルトのカールス校に学ぶ。のちジョフロア・サン・ティレールに見いだされパリ自然史博物館の比較解剖学教授となる。またコレージュ・ド・フランスの教授を兼任。動物界を4群に分けるとともに,古生物学を独立の科学とした。ラマルクの進化論に反対し天変地異説を唱えた。主著に《比較解剖学講義》《化石骨の研究》など。
→関連項目オーエンジーボルトダニレフスキー地質学原理ド・カンドル

キュビエ

ベルギー生れのドイツ・ロココの建築家,装飾彫刻家。ミュンヘンで宮廷建築家エフナーの助手となり,1720年パリに留学してブロンデルに学ぶ。ロココ様式を初めてドイツへ導入し,おもにミュンヘンで活躍。代表作にミュンヘンの王宮劇場(1755年),ニュンフェンブルク宮殿内のアマーリエンブルク(1739年)など。

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世界大百科事典(旧版)内のキュビエの言及

【形態学】より

…そして18世紀中葉にリンネによって近代的分類学の基礎が固められた。この潮流を背景にして,19世紀初めごろE.ジョフロア・サン・ティレールやG.L.C.F.D.キュビエらが動物界全体の比較解剖学を新しい科学として確立する。他方,このころラマルクにより,次いで19世紀中ごろC.ダーウィンによって生物進化論が創始され,これを転機として形態学と分類学は近代的な展開を見せることになる。…

【古生物学】より

…18世紀の博物学者らは化石とそれを含む地層の岩質との対応関係をおおまかに知っていたが,W.スミス(1769‐1839)によって生層位学(化石層位学)の方法が確立され,広域の地層対比のための化石の価値が明らかにされた。さらに重要な理論的貢献をしたのはG.キュビエ(1769‐1832)で,彼は比較解剖学を創始して脊椎動物化石を研究した。彼の《化石骨の研究》(1812)は化石復元のモデル的研究である。…

【博物学】より

…1780‐1830年ころまではフランス博物学の黄金期にあたる。学者では長く分類学の中軸となってきた〈存在の大連鎖〉(生物界は天使からアメーバまで順列を作り一直線に並んでいるとする説)を断ち切ったG.L.C.F.D.キュビエ,アフリカの鳥類に関する図鑑を刊行したルバイヤンFrançois Levaillant(1753‐1824),西洋人で初めて生きたフウチョウを観察したレッソンRené‐Primevère Lesson(1794‐1849)ら,また美しい図鑑を制作した画工では,オードベルJean Baptiste Audebert(1759‐1800)(《ハチドリの自然史》),バラバンJacques Barraband(1768‐1809)(《オウム類》),プレートルJean Gabriel Prêtre(19世紀前半に活躍)(《フウチョウの自然史》)などがとくに傑出している。またベルギー生れの植物画工ルドゥーテPierre‐Joseph Redouté(1759‐1840)は〈花のラファエロ〉と呼ばれて世界中の人々に愛された。…

【ドイツ美術】より

…城塞のような外観とは逆に,教会の内部は凹凸の多い曲面によって構成され,軽快な装飾で充満される。この傾向はノイマンのフィアツェーンハイリゲン(十四聖人)巡礼教会(1743‐72)やビュルツブルク司教館(1744)およびヒルデブラントのウィーンのベルベデーレ宮殿(1714‐24)を経て,やがてフランスから移入されたロカイユ装飾を多用する華麗な堂内を作り上げたキュビエの建築へといたる。彼のニュンフェンブルク宮殿のアマーリエンブルク(1734‐39)やミュンヘンの王宮劇場(1750‐53)は,D.ツィンマーマンのウィース巡礼教会(1746‐54)とともにバロック末期ロココ様式の代表作である。…

【ニュンフェンブルク宮殿】より

…中央棟はわずかの装飾要素による平たんなファサードをもち,全体に清楚な美を特徴とする。後にF.キュビエによって大広間の内装に手が加えられ,庭園内の小館アマリエンブルクなどのロココ様式による建物が付加された。ニュンフェンブルク磁器【杉本 俊多】。…

※「キュビエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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