ガレ(英語表記)Johann Gottfried Galle

デジタル大辞泉 「ガレ」の意味・読み・例文・類語

ガレ(Émile Gallé)

[1846~1904]フランスガラス工芸家・家具デザイナー。1878年のパリ万国博覧会で、月光色と呼ばれる淡い青色のガラスを出品し、高い評価を得る。昆虫や植物モチーフにした幻想的な作品が多く、アールヌーボーを代表する一人。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ガレ」の意味・わかりやすい解説

ガレ
Johann Gottfried Galle
生没年:1812-1910

ドイツ天文学者。1833年にベルリン大学を卒業して35年にベルリン天文台の助手となり,台長J.F.エンケのもとに口径23cmの望遠鏡で16年間観測に従事した。この間,38年には土星のC環を発見,また39年12月~40年3月の間に続けて3個のすい星を発見したが,何といっても最大の業績は46年9月23日の海王星の発見である。この発見は,フランスの天文学者U.J.J.ルベリエが新惑星の予想位置をガレに書き送って観測を依頼したことによるもので,しかも新惑星は予想位置からわずか1度離れて発見された。ゆえに,ガレ自身は発見の功績はルベリエに帰すものと考えたが,しかしフランス政府はガレにレジオン・ドヌール勲章を贈った。

 51年にガレはブレスラウ天文台長となって97年までその職にあった。地球に近づく小惑星の観測による太陽視差の決定を提唱し,1873年にはみずから小惑星フローラを観測して太陽視差を8.″82±0.″06と決定した。94年にその子アンドレアスAndreas G.と協力して作成した414個のすい星カタログは有名である。
執筆者:

ガレ
Émile Gallé
生没年:1846-1904

フランスの装飾芸術家。とくにアール・ヌーボーのガラス器・家具製作の代表者の一人。ロレーヌ地方の古都ナンシーに生まれ,1862年から66年までワイマールで絵画,彫刻,植物学,博物学などを学び,また音楽家リストを知る。70年,フランスに帰り,陶器,ガラス器を専門とした父シャルルの工場で製作。71年,イギリスに渡り,サウス・ケンジントン美術館等で古代中世,東洋のガラスを研究,またW.モリスの手工芸運動の刺激を受けた。78年以降,活発に作品を発表し,とくに89年にパリ万国博で最高賞を受けて,ガラス作家として地位を確立した。ガレはまた,当時ナンシーに遊学中であった画家高島得三(北海)と親交を結び,日本美術からも大きな影響を受けた。その作風は,古来のガラス技法を活用して自己の詩想を視覚化する個性的なものであるが,多くの支持者を得て盛行し,いわゆるナンシー派の成立をもたらした。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガレ」の意味・わかりやすい解説

ガレ
がれ
Émile Gallé
(1846―1904)

フランスのアール・ヌーボー様式を代表するガラス工芸家、高級家具作家。ナンシーに生まれる。ワイマールで哲学や鉱物学などを学んだのち、マイゼンタールのガラス工場でガラス製作を修業し、父の仕事を継いだ。1878年のパリ万国博覧会には酸化コバルトを混入させて得た「月光色」のガラス器などを出品し、世人の注目を集めた。その後も被(かぶ)せガラスなど技術上の革新が相次ぎ、幻想的な表現によってアール・ヌーボー時代の趣味を盛り上げた。植物や昆虫のモチーフが多く、その流動感や色調に洗練度の高いものがある。86年には家具工房も設立され、89年と1900年のパリ万国博でも大成功を収めた。01年には工芸におけるナンシー派を設立し、アール・ヌーボーの一拠点を打ち立てた。

[高見堅志郎]

『ガレ著、由水常雄他編訳『ガレの芸術ノート』(1980・瑠璃書方)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガレ」の意味・わかりやすい解説

ガレ
Gallé, Emile

[生]1846.5.8. ナンシー
[没]1904.9.23. ナンシー
フランスの工芸家。アール・ヌーボーの代表的作家。父は製陶工房主。古典学,植物学,ガラス工芸を学んだのち父の工房に入る。 1860年代にガラス工芸を始め,その完成された技巧による非幾何学的な左右非対称の自然主義的形態と,昆虫や植物の華麗な装飾文様をもつガラス器は日本美術の影響をみせており,当時大流行となる。 84年には家具の製作を開始。マルケットリー (寄せ木細工) を用いた典型的なアール・ヌーボー調の家具を作る。彼の造形の根底には象徴主義があり,その芸術論を述べた著書"Écrits pour l'art 1844-89" (1908) がある。

ガレ
Galle, Johann Gottfried

[生]1812.6.9. パブストハウス
[没]1910.7.10. ポツダム
ドイツの天文学者。 1835年からベルリン大学天文台で,台長 J.エンケの助手をつとめたのち,51年よりブレスラウ天文台台長。ベルリン大学天文台時代の 46年,U.ルベリエの理論的予測に従って海王星を発見。小惑星の年周視差を測定して太陽系の大きさを計算する方法を提案。彗星,流星,土星の環に関する研究も多い。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ガレ」の意味・わかりやすい解説

ガレ

フランスの装飾芸術家。とくにアール・ヌーボーのガラス器・家具製作の第一人者。ナンシーに生まれ,ワイマールで絵画や博物学を学ぶ。また,ナンシーに留学していた画家高島得三を通じて日本美術の影響を受けた。1878年,1889年,1900年の3回のパリ万国博で成功を収め,工芸におけるナンシー派の成立をもたらした。

ガレ

ドイツの天文学者。1846年ベルリン天文台でルベリエの計算指示により海王星を発見。1851年ブレスラウ天文台長。地球に近づく小惑星の観測による太陽視差の決定に従事。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のガレの言及

【海王星】より

…軌道半長径=30.1104天文単位離心率=0.0090 軌道傾斜=1゜.770太陽からの距離 最小=44.64×108km 平均=45.04×108km 最大=45.44×108km公転周期=164.82年 平均軌道速度=5.44km/s会合周期=367.5日 赤道半径=2万4764km体積=58(地球=1) 質量=17.15(地球=1)平均密度=1.58g/cm3自転周期=0.664日 赤道傾斜角=27゜.8アルベド=0.41 極大光度=+7.8等赤道重力=1.11(地球=1) 脱出速度=23.49km/s太陽系の第8惑星。1846年,ベルリン天文台のJ.G.ガレによって発見されたが,その発見は天体力学の正確さと有効性を実証したものとして有名である。1781年,F.W.ハーシェルによって天王星が発見されると,おりからP.S.ラプラスが展開した天体力学の理論による計算と位置観測の結果が詳しく照合された。…

【ガラス工芸】より

…ガラス工芸用に使用されるガラスの種類は主としてソーダ・ガラス(ソーダ石灰ガラス),カリ・ガラス(カリ石灰ガラス),鉛ガラス(鉛アルカリ・ガラス)で,一部にホウケイ酸ガラスや特殊ガラスも使われる。ガラス工芸の対象とするジャンルは,実用目的をもつ容器や建築用材,室内装飾品のほか,実用機能をもたない芸術作品にいたるまで幅が広い。
【成形と加飾】
 ガラス工芸に使われる道具類は,吹きガラス技法が始まったローマ時代以来,基本的にはあまり変化していない。…

【ナンシー派】より

…19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米で展開したアール・ヌーボーの一流派。フランス東部の町ナンシーを中心に活動し,日本美術に強い影響を受けた草花鳥虫,とりわけ植物文様をモティーフに使った自然主義的な表現に特色があった。植物主義とも呼ばれるアール・ヌーボー運動の中心的な活動母体でもあった。ナンシー派の始まりは,ナンシーの工芸家É.ガレが,1878年のパリ万国博覧会に出品したガラス器や陶器が多くの賞を受賞して注目されたときに端を発しているが,本格的な展開は,89年パリ万国博覧会での大々的なガレおよびその一門の展示品と,グランプリをはじめとする数々の大賞受賞をもって始まった。…

※「ガレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android