カリブ文学(読み)かりぶぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カリブ文学」の意味・わかりやすい解説

カリブ文学
かりぶぶんがく

カリブ海域の島々は、かつて大航海時代に、エル・ドラド(黄金郷)伝説の刺激もあって、ヨーロッパ列強の植民地争奪戦の好餌(こうじ)となった地域である。その争奪の過程で、先住民の多くは絶滅し、彼らの文化はほとんど形跡をとどめていない。現在のカリブ文学のおもな担い手たちは、白人によって奴隷もしくは強制労務者としてこの地域に投入された、アフリカ人やインド人たちの子孫であり、旧宗主国の言語に従って、英語圏(ジャマイカトリニダード・トバゴバルバドスガイアナ)とフランス語圏(ハイチ、マルティニーク、ドミニカグアドループギアナ)、およびスペイン語圏(キューバ、ドミニカ共和国、プエルト・リコ)とオランダ語圏(アンティル、スリナム)の各文学に大別できる。

 過酷な植民地支配のもとで長い間、隷従と忍苦を強いられ、その間に完全に根っこを喪失したこれらカリブの流民たちの間からは、当然の帰結としてハイチ、キューバにみられるような反抗と革命の文学、マルティニークにみられる祖国アフリカへの望郷と復帰を強烈に祈念する文学が生まれた。とりわけ20世紀初頭「アフリカへ帰れ」運動(ガーベイ運動)を指導して、黒人に自らの誇りと尊厳を自覚させたM・ガーベイ(ジャマイカ)、汎(はん)アフリカ主義(パン・アフリカニズム)運動屈指の理論家ジョージ・パドモアトリニダード)、さらには1930年代のパリで開花したネグリチュード運動をサンゴールセネガル)やレオン・ダマLéon Damas(1912―1978、ギアナ)とともに推進して、この運動の聖典ともいわれる詩集『祖国復帰ノート』(1947刊)を創作出版したエメ・セゼール(マルティニーク)の名は、カリブ文化運動の先駆的旗手として歴史にとどめられよう。

[土屋 哲]

英語圏の現代カリブ文学

ところで、カリブ海域西インド諸島の文学が活況を呈するのは1950年代以降であるが、現代カリブ文学のテーマを英語圏に限って分類すると以下のとおりである(他の地域も、奴隷制を克服して1804年に独立を達成したハイチ建国の英雄トゥーサン・ルーベルチュール、J・J・デサラン(デサリーヌ)、H・クリストフをたたえる革命文学を別とすれば、ほぼこれに準ずる)。

(1)歴史もの 白人入植者の暴力と堕落の生態や、ジャマイカ民権運動の歴史などをつづったもの。E・ミッテルホルツァE. Mittelholzer(1909―1965、ガイアナ)、V・S・レイドVictor Reid(1913―1987、ジャマイカ)ら。

(2)エグザイル(流人)もの ロンドンに移住、亡命する西インド人の、一生浮かばれない流浪地でのどん底の生活を描いたもの。G・ラミング(バルバドス)、S・セルボーンSamuel Selvon(1923―1994、トリニダード)、A・ソールキーAudrew Salkey(1928―1995、ジャマイカ)ら。

(3)ルーツ探し 喪失したアイデンティティを確かめ、その回復と再構築を求める作品群。G・ラミング、V・S・レイド、W・ハリスW. Harris(1921―2018、ガイアナ)、詩人のE・ブラスウェイト(バルバドス)ら。

(4)ユートピアもの 過酷な西インドの現実を裏返しにユートピアを夢みる作品群。G・ラミング、J・ハーンJ. Hearne(1926―1995、ジャマイカ)ら。

(5)現実告発もの スラム街の貧困と悲惨を克明に描いて現実の社会悪を告発するもの。R・メイズR. Mais(1905―1955、ジャマイカ)ら。

 これら五つの大別のほかに、カリブ演劇の確立に異常ともいえる執念をみせる詩人・劇作家D・ウォルコットセント・ルシア)、祖国インドへの復帰を拒否してヨーロッパ文明にひたすら身を寄せつつ現代の不安や荒廃を描く異色の小説家V・S・ナイポール(トリニダード)の存在、および『黒い皮膚・白い仮面』(1952)と『地に呪(のろ)われたる者』(1961)の2著作を通じて、ネオ・コロニアリズム(新植民地主義)を含む植民地支配からの完全解放を目ざし、とりわけ第三世界の革命家たちの精神のよりどころとなり、自らもアルジェリア解放戦争に身を投じ、1961年に病没したF・ファノン(マルティニーク)の名も特記しておきたい。

 なお、これらむしろペシミスティックな作風の目だつ第一世代の作家たちに対して、1980年代以降に活発な創作活動をみせるE・ラブレイスE. Lovelace(1935― )、O・セニオールO. Senior(1941― )、J・キンケイドJ. Kincaid(1949― )、J・B・ブリーズJ. B. Breeze(1956― )、Z・エジェルZ. Edgell(1940― )、M・ホッジM. Hodge(1944― )、M・コリンズM. Collins(1950― )など、新しい世代の作家たちの作品には、人種間や自然の風土との違和感を克服して、積極的に新天地で新しい世界を建設しようとする前向きの姿勢が顕著にみられる。

[土屋 哲]

文化的役割

さらに彼らは、文化面における自らの「根なし草」的状況の自覚から、新天地で、アフリカからの伝承文化に根をもちながらそれらとは異質な新しい言語と文化(これをクレオール語とクレオール文化ということもできる)を創造していったことも付記しておきたい。すなわち、両アメリカ大陸の一部とも共有するジャズ、ブルース、カーニバル、カリプソ、レゲエであり、文学面では、A・ソールキー、L・ベネットL. Bennett(1919―2006)、F・チャールズF. Charles(1944― )、E・P・スプリンガーE. P. Springer(1944― )など、ガーナのトリックスターtrickster(道化の神話的形象)であるアナンシーAnancyを自作に取り込んだアナンシー説話群や、1930年代にジャマイカから興ったラスタファリアニズムrasutafarianism(ラスタ思想)であり、このラスタ思想を自作に取り入れた作家にR・メイズ、D・ウォルコット、O・セニオール、L・ベネット、M・スミスM. Smith(1954―1983)、E・ホワイトE. White(1947― )、E・ブラスウェイトらがいる。さらに1990年代以降急激に活況を呈するようになってきている、L・K・ジョンソンL. K. Johnson(1952― )、ムタバルカMutabaruka(1952― )、J・ベリーJ. Berry(1924―2017)、J・アガードJ. Agard(1949― )らに代表される、アフリカの口誦(こうしょう)伝説を取り込み、演技を交えながら、カリプソやレゲエのリズムに乗って朗唱されるダブ・ポエトリdub poetryもそうである。

 なお、アナンシーとは、ガーナの主要部族アシャンティの神話に文化英雄(カルチャー・ヒーローculture hero)として登場するトリックスターの名前で、蜘蛛(くも)の場合が多い。いたずら好きの超自然的な存在で、奇智(きち)に長(た)け、気まぐれな行動で人をだましたり、たぶらかしたり、ときには人助けをしたりして、その説話は西アフリカの人々の間で古代から語り継がれ、いまでも民衆の生活を御する指針ともなっている。また、ラスタ思想とは、世界最古の黒人の独立国家の一つ、エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエを神格化し、黒人の救世主とする宗教的思想で、1930年代初期にジャマイカでおこり、1960年代後半から黒人知識層と中産階級の間に広がり、さらにカリブ海域全体から世界中の黒人層に広がっていった。黒人の誇り、自然界の精霊との交信、物質文明の否定を信条とし、音楽のジャンルでは、レゲエがこのラスタ思想と深く結びついている。

[土屋 哲]

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