オリンピア(古代ギリシアの神域)(読み)おりんぴあ(英語表記)Olympia

翻訳|Olympia

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

オリンピア(古代ギリシアの神域)
おりんぴあ
Olympia

古代ギリシア最大のゼウスを主神とする神域。ペロポネソス半島西部のエリス地方に広がり、北にクロノスの丘を控えてクラデオス川とアルフェイオス川に挟まれた平地を占めていた。オリンピック発祥の地で、ゼウスを祀(まつ)るため4年目ごとに競技が開催された。この地の歴史は古く、青銅器時代の先住民住居址(し)やミケーネ時代のギリシア人遺跡が発掘されており、すでにそのころから地域的な民間信仰の中心であったと推測されている。この後、紀元前11世紀ごろドーリス系ギリシア人の一派が南下してこの近辺に定着した。

 オリンピック競技の起源については、ヘラクレスや、オイノマオスとの戦車競走に勝ったペロプスと関連づける古伝承が存在するが、詳細は不明である。第1回の競技は、のちに作成された優勝者リストに従って前776年のことと考えられている。競技をはじめとする神事の運営には、初期には先住ギリシア人であるピサ人があたっていたが、前570年以降はドーリス系のエリス人がこれにとってかわった。前7世紀には神域の整備が始められ、まずゼウスの后(きさき)である女神ヘラの神殿がつくられ、前6世紀に入ると徒競走に使用されたスタディオンなどの施設が整えられた。前5世紀なかばにはゼウス神殿が完成されて、同世紀後半にはフェイディアスによって、黄金と象牙(ぞうげ)からなる高さ12.4メートルの「世界七不思議」の一つに数えられたゼウス像が製作される。前4世紀は建築活動のもっとも盛んであった時期にあたり、神域のようすが一変したといわれる。

 ヘレニズム期の建造物は乏しいが、ローマ帝政期になると既存の建物の拡張が行われ、また皇帝ネロの別荘などが建てられた。しかし紀元後3世紀後半には衰退が始まり、394年に皇帝テオドシウス1世の発布した異教祭祀(さいし)禁止令によってオリンピック競技が廃止され、426年には異教神殿破壊令によって神殿が取り壊された。これに続いた6世紀の大地震により、オリンピアの歴史は完全に終止符を打たれる。

 オリンピア遺跡の発掘が開始されたのは19世紀に入ってからである。1829年にフランスの考古学者が短期間発掘に着手した後を継いで、76年から6年間、クルティウスErnst Curtius(1814―96)の率いるドイツの調査隊が発掘を行い、主要な建造物の跡を明らかにした。第二次発掘は1937年から58年にかけて、第二次世界大戦中の中絶期間を除いて行われ、学術的に貴重な成果をあげた。1989年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[前沢伸行]


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