日本大百科全書(ニッポニカ) 「エミリア・ロマーニャ」の意味・わかりやすい解説
エミリア・ロマーニャ
えみりあろまーにゃ
Emilia Romagna
イタリア北東部の州。面積2万2123平方キロメートル、人口396万0549(2001国勢調査速報値)。ボローニャ、フォルリ・チェゼーナ、モデナ、レッジョ・ネレミリア、パルマ、フェッラーラ、ラベンナ、ピアチェンツァ、リミニの9県からなり、州都はボローニャ。北はポー川、南はアペニン山脈が州境をなし、東はアドリア海に面している。全面積の48%は平野部で、山地25%、丘陵地27%となっている。生産性の高い集約的農業が営まれ、農業生産額は国内有数である。とりわけ小麦、畜産物、テンサイ、果実(西洋ナシ、西洋スモモ、モモ)などを豊富に産する。またそうした農産物を加工する各種の食品工業のほかに、農業機械、衣料、陶器の製造も盛んである。ただそれらの大部分は中小企業で、大型工場はフェッラーラとラベンナの石油化学工業に限定されている。政治的にはトスカナ州やウンブリア州とともに「赤い三州」とよばれ、イタリア共産党の牙城(がじょう)となっている。
[堺 憲一]
歴史
先史時代には、テラマーレ文化やビッラノーバ文化の拠点を形成した。ローマ時代に、この地方を通過する街道の名にちなんで、アエミリアAemiliaとよばれた。現在の主要都市の前身が、ほぼその陣容を整えるのもそのころのことである。しかし、東ゲルマン系の一派ランゴバルド人の侵入とともに、長い政治的分裂の時代が始まり、一時期を除いて国家統一に至るまでその状態が続いた。1860年パルマ公国、モデナ公国、ロマーニャの教会領は、サルデーニャ王国の主導下でついに統一を達成した。なおロマーニャの名称に関しては、6~7世紀ごろ、ビザンティン帝国のラベンナ大守領がロマニアRomaniaと称されたことに端を発するといわれている。
[堺 憲一]