エグバート

百科事典マイペディア 「エグバート」の意味・わかりやすい解説

エグバート

英国のウェセックス王(在位802年―839年)。少年時代をカール大帝の宮廷ですごし,802年帰国して即位。マーシアを破り,ノーサンブリアに宗主権を認めさせ,829年七王国の分立を統一した。
→関連項目イギリス

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旺文社世界史事典 三訂版 「エグバート」の解説

エグバート
Egbert

775ごろ〜839
イングランド王(在位829〜839)
アングロ−サクソン族の七王国の中のウェセックス王。七王国を服属させ,イングランドの統一に成功した。838年にはデーン人侵入を撃退した。

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デジタル大辞泉 「エグバート」の意味・読み・例文・類語

エグバート(Egbert)

[775ころ~839]英国、ウェセックスの王。在位802~839。829年イングランドを統一し、その初代の王となった。エグベルト

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精選版 日本国語大辞典 「エグバート」の意味・読み・例文・類語

エグバート

〘名〙 (Egbert) ウェセックスの王(在位八〇二‐八三九)。八二九年イングランドに初めて統一政権を確立。(七七五‐八三九

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世界大百科事典 第2版 「エグバート」の意味・わかりやすい解説

エグバート【Egbert】

775?‐839
イギリスの七王国時代のウェセックス王。Ecgberhtとも書く。在位802‐839年。ケントの副王エアルムンドの子。少年時代王位をめぐる内紛でフランクに亡命,カール大帝の保護をうけ成長した。802年帰国して即位,ブリトン人を討ってコーンウォール地方を征服,マーシアを破って服属させ,またノーサンブリアなど七王国に覇を制し,さらに侵入したバイキングを撃退するなど,イングランドの統一に道をひらいた。【青山 吉信

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エグバート」の意味・わかりやすい解説

エグバート
えぐばーと

エグベルト

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世界大百科事典内のエグバートの言及

【イギリス】より

…この間異教徒であったアングロ・サクソン人はキリスト教に改宗し,それとともにラテン文化が流入,文字の使用,慣習法や伝承文学の成文化も始まった。 分立した七王国は,9世紀前半ウェセックス王エグバートにより一応統一されたが,このころから北欧を原住地とするバイキング(デーン人)の侵入が激しくなり,同世紀後半にはイングランドの北東部は彼らに占拠された。このときイングランド王となったアルフレッド大王は,軍制を改革して彼らを破り,それ以上の拡大を阻止して国土を守った。…

【七王国】より

…8世紀にはマーシアが強大となり,とくにその王オファ(在位757‐796)は他の諸国に宗主権をふるっただけでなく,ウェールズとの境界に〈オファの防塁〉と呼ばれる長大な土塁を築いてブリトン人を圧迫し,またフランクのカール大帝と対立するなど,大いに威を示した。 9世紀には,マーシアに圧せられていたウェセックスのエグバート王が勢力を増大,829年マーシアを破って七王国に覇をとなえるに至った。しかし8世紀末ごろから海上より略奪活動を開始したバイキング(デーン人)が,9世紀前半より本格的な侵入を開始した。…

※「エグバート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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