ウー・タント(英語表記)U Thant

20世紀西洋人名事典 「ウー・タント」の解説

ウー・タント
U Thant


1909.1.22 - 1974.11.25
ビルマ政治家
元・国連事務総長(第3代)。
パンタナウ生まれ。
第二次大戦前高校教師をしていたが、戦後ラングーン大学在学中に反ファシスト人民自由連盟で活動、独立後は情報局長、経済社会局長を歴任した。1957年に駐米大使、国連代表となり’62年には第3世界初の事務総長就任’71年には中国国連加盟に尽力した。また、キューバ危機、ベトナム停戦など調停者として重要な役割もはたした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「ウー・タント」の意味・わかりやすい解説

ウー・タント

ビルマ(現ミャンマー)の政治家。ラングーン大学卒業後教育界にはいったが,第2次大戦後は反ファシスト人民自由連盟に参加。独立後,情報局長,駐米大使を経て1957年国連代表,1961年国連暫定事務総長となり,1962年正式に第3代目の事務総長に就任,1967年再選,1971年末任期満了とともに退任した。→国連事務局

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウー・タント」の解説

ウー・タント
U Thant

1909~74

第3代国連事務総長(在任1961~71)。独立ビルマ政府の情報省勤務をへて54年ウー・ヌ首相の秘書官となり,57年より国連のビルマ終身代表。74年12月,その葬儀をめぐりヤンゴンで反政府運動が起こった。

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