インド哲学/用語(読み)いんどてつがくようご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「インド哲学/用語」の意味・わかりやすい解説

インド哲学/用語
いんどてつがくようご

*印は、別に本項目があることを示す。⇒は、この用語集における関連を示す。


アースティカ* āstika
 諸哲学学派中、ベーダ聖典の権威を認めるベーダーンタ学派などの正統派をさす。それを認めない唯物論、仏教、ジャイナ教は非正統派(ナースティカnāstika)といわれる。

アートマン* Ātman
 元来、気息を意味したとされるが、哲学的概念としては生命原理、霊魂、自己、自我、個我、本体を意味する。一般にインド思想では、永遠に存続する独立自存の個人の本体としてのアートマンの存在を認めるが、仏教は無我説(むがせつ)(非我説)の立場をとった。

アドリシュタ
 ⇒不可見力(ふかけんりょく)
アハンカーラ ahakāra
 「私」という観念、自我意識(我慢(がまん))。サーンキヤ学派ではプラクリティからの開展物の一つで、純粋に物質的な一器官であり、自己への執着を特質とする。

有(う) (サットsat)
 存在、実在の意。転じて宇宙の唯一の根本原因。ブラフマンと同一視され、ベーダーンタ学派では知、歓喜とともにブラフマンの本性とみなされている。

オーム om
 宗教的儀式などの前後に唱える神聖な音声。仏教でもジャイナ教でも用いられるが、ヨーガ行者の念想の対象とされ、またa, u, mの三字に分解して神秘的、哲学的解釈がなされた。

唵(おん)
 ⇒オーム
開展説(かいてんせつ) (パリナーマバーダpariāmavāda)
 古代インドの宇宙論の一つ。転変説とも漢訳される。サーンキヤ学派などが主張。原因のなかにすでに結果が潜在的に含まれているとする因中有果論(いんちゅううかろん)に立脚し、いっさいの現象は一つの原因から開展したとする。

句義(くぎ)
 ⇒六句義(ろっくぎ)
グナ gua
 サーンキヤ学派の主張する、質料因プラクリティを構成する純質、激質、暗質という三要素(三徳)。三グナの平衡状態が破れると開展がおこり、統覚機能など24の原理が生じ、現象世界が成立する。

仮現説(けげんせつ) (ビバルタバーダvivartavāda)
 古代インドの宇宙論の一つ。現象世界は無明(むみょう)から生じ、本来は幻のように実在しないとする説で、シャンカラの後継者の間で確立された。

解脱(げだつ)* (モークシャmoka)
 業(ごう)に基づく輪廻(りんね)から自由となることで、ヒンドゥー教徒は人生の四大目標の一つとする。仏教やジャイナ教でも究極目的とされる。

原子(げんし) (アヌau)
 ジャイナ教、説一切有部(せついっさいうぶ)、バイシェーシカ学派などで主張する、いっさいの物質的なものを構成している不可分割の、知覚できない微細な要素。⇒不可見力(ふかけんりょく)
原人(げんじん) (プルシャPurua)
 千頭、千眼、千足をもち、宇宙のいっさいはその身体の各部から生じたという。ちなみにバラモンなどの四階級はそれぞれ原人の口、腕、腿(もも)、足から生じたとして四姓制度の成立を暗示している。

現量(げんりょう)
 ⇒直接知覚(ちょくせつちかく)
幻力(げんりょく)
 ⇒マーヤー
業(ごう)* (カルマンkarman)
 すべての身体的、言語的、精神的(身(しん)、口(く)、意(い))行為が潜勢力として蓄積されたもの。来世に、神、人間、動物など、どの世界に生まれるかなどを決定する。

個我(こが)
 ⇒アートマン
五火二道説(ごかにどうせつ)
 ウパニシャッド時代、王族の間で信奉されていた輪廻(りんね)観。五火説は、人間がこの世に再生する過程を5個の供犠(くぎ)の祭火に託して説明する説であり、二道説は、解脱(げだつ)する人の赴く神道と善人の赴く祖道とを区別し、祖道をとれば五火説のようにふたたび地上に再生すると説く。両説は類似性のゆえに、異なった説ではあるが、あわせて言及される。

虚空(こくう) (アーカーシャākāśa)
 ジャイナ教では、物質などに存在の場を与える実在体。バイシェーシカ学派では、すべてのものに存在運動の場を与える、音声を性質とする唯一・常住・遍在する実体。ベーダーンタ学派では、地・水など五大元素の一つ。

語常住論(ごじょうじゅうろん)
 ミーマーンサー学派などは、語は単なる音声ではなく、無常な音声を超越して永遠に実在すると主張し、語無常論(ごむじょうろん)を説くニヤーヤ学派などと対立した。

五分作法(ごぶんさほう)
 ニヤーヤ学派の主張した論証形式で、主張、理由、実例、適用、結論の五肢からなる。

根本原質(こんぽんげんしつ) (プラクリティprakti)
 サーンキヤ学派が想定する物質的原理。精神的原理プルシャに対する。三グナの平衡状態をさし、激質の働きで平衡状態が破れると宇宙の開展がおこる。

再死(さいし) (プナルムリティユpunarmtyu)
 天界でふたたび死ぬことで、ブラーフマナの時代に恐れられた。

再認識(さいにんしき) (プラティアビジュニャーpratyabhijñā)
 解脱は自己の本性の再認識であるとする、カシミール・シバ派(再認識派)の主張。

三支作法(さんしさほう)
 陳那(じんな)(ディグナーガ)が五分作法(ごぶんさほう)中の二肢を排除して創始した、主張・理由・実例の三肢からなる論証形式。陳那以降の仏教論理学は新因明(しんいんみょう)とよばれる。

三神一体(さんしんいったい) (トリムールティtrimūrti)
 ヒンドゥー教における創造神ブラフマー(梵天(ぼんてん))、維持神ビシュヌ、破壊神シバの三神はまったく一体であるとする説。

三徳(さんとく)
 ⇒グナ
自我(じが)
 ⇒アートマン
七句表示法(しちくひょうじほう) (サプタバンギーナヤsaptabhagīnaya)
 ジャイナ教の説で、いかなる事物でも、ある観点からすれば、有り、無し、有りかつ無し、言い表されず、有りかつ言い表されず、などという七種の表示の仕方が可能であるという。

純粋一元論(じゅんすいいちげんろん) (シュッダードバイタśuddhādvaita)
 ベーダーンタ学派中、バッラバ(1473―1531)の哲学説。ブラフマンも個我・現象世界も実在し、純粋清浄であり、ブラフマンと個我・現象世界との関係は純粋な同一性であるとする。

証言(しょうげん) (シャブダśabda)
 認識手段の一つ。聖言量(しょうごんりょう)と漢訳される。信頼さるべき人のことば、教示をさし、経験できる事物に関するもの(例、医師のことば)と、経験できない事物に関するもの(例、ベーダ聖典)とがある。

聖言量(しょうごんりょう)
 ⇒証言(しょうげん)
神我(しんが)
 ⇒プルシャ
新得力(しんとくりょく) (アプールバapūrva)
 ミーマーンサー学派の術語で、ある祭事行為と将来得られるはずのその果報(例、天界)とを結び付ける力。

推論(すいろん) (アヌマーナanumāna)
 比量(ひりょう)と漢訳。認識手段の一つ。「あの山は火を有する。煙のゆえに」のように、直接知覚に基づいて、証因(リンガ、「煙」)から証因を有するもの(リンギン、「火」)を推理するための手段。

スポータ sphoa
 常住不滅の語の本体で、ブラフマンと同一視される。文法学者パタンジャリの説を受けて、語ブラフマン論者バルトリハリ(5世紀後半)が強調した。

スヤード・バーダ syādvāda
 ある一つの事物には種々の属性があり、観点(ナヤ)の違いによって種々異なる判断が生ずる。したがって、ある判断を示すためにはスヤートsyāt(ある観点からすれば)という条件を付すべきであるという、ジャイナ教特有の理論。

制限者不二一元論(せいげんしゃふにいちげんろん)
 ⇒被限定者不二一元論(ひげんていしゃふにいちげんろん)
ダルマ
 ⇒法(ほう)
知行併合説(ちぎょうへいごうせつ) (ジュニャーナ・カルマ・サムッチャヤ・バーダjñānakarmasamuccayavāda)
 解脱のためには、絶対者についての知識と祭祀(さいし)などの行為とがともに必要であるとの説。

直接知覚(ちょくせつちかく) (プラティアクシャpratyaka)
 認識方法の一つ。現量(げんりょう)と漢訳される。各学派によって概念を異にするが、ニヤーヤ学派では、感官と対象との接触から生じ、言い表されず、誤りのない、決定性のある直接知を得る手段。

転変説(てんぺんせつ)
 ⇒開展説(かいてんせつ)
トリムールティ
 ⇒三神一体(さんしんいったい)
ナースティカ*
 ⇒アースティカ
ナヤ naya
 観点、見地を意味し、ジャイナ教特有の相対的観察法。ある一つの事物には数多くの属性があるので、その認識判断の際とるべき観点ナヤも数多くあるが、事物の普遍性と特殊性とを区別してみるナヤなど、五種ないし七種にまとめられている。

二元論(にげんろん) (ドバイタバーダdvaitavāda)
 ベーダーンタ学派中、マドバ(1197―1279)の哲学説。ブラフマンと個我、ブラフマンと物質、などの間に、永遠に実在する別異性があるとし、ブラフマンと個我とは別個の実体とする点から二元論といわれるが、本来は別異論ともいうべきもので、いわゆる二元論とは異なる。

認識手段(にんしきしゅだん) (プラマーナpramāa)
 量(りょう)と漢訳される。正しい知識を得る手段。これは諸学派にとって重要な問題であり、各学派のもつ形而上学(けいじじょうがく)説を背景に、異なった見解がみられ、また何を認識方法と認めるかについても異なる。ニヤーヤ学派の場合には、直接知覚、推論、類比、証言の四手段を承認している。

念想(ねんそう) (ウパーサナupāsanaまたはビドヤーvidyā)
 ウパニシャッドのなかにしばしば説かれているが、ある神聖なものを心のなかで間断なく念じて思い続ける修行。実行するためには安坐(あんざ)し、身心ともに不動とならねばならない。

バクティ* bhakti
 神に対する熱烈な献身、信仰。『バガバッド・ギーター』は、行為(カルマン)による実践、知識(ジュニャーナ)による実践のほかに、信愛(バクティ)による実践を強調。中世以降の宗教思想は広く深くバクティによって色づけられている。

被限定者不二一元論(ひげんていしゃふにいちげんろん) (ビシシュタ・アドバイタ・バーダviśiādvaitavāda)
 ベーダーンタ学派中、ラーマーヌジャ(1017―1137)の哲学説。制限者不二一元論ともいう。個我はブラフマンの身体・様相であり、個我はブラフマンを本性としている。物質世界はその個我の身体・様相であるから、物質世界も究極的にはブラフマンを本性としている。この意味でブラフマンは個我および物質世界と同一である。換言すれば、個我と物質世界によって限定されたブラフマンは、その個我と物質世界と同一であるとする説。

微細身(びさいしん) (リンガ・シャリーラligaśarīra)
 死に際して、肉体は滅するが、統覚機能、自我意識、11の器官、5種の微細な要素が、滅することなく形成する超感覚的身体。これは死後も存続して、プルシャとともに輪廻(りんね)の主体となる。

譬喩量(ひゆりょう)
 ⇒類比(るいひ)
比量(ひりょう)
 ⇒推論(すいろん)
不一不異論(ふいつふいろん) (ベーダーベーダ・バーダbhedābhedavāda)
 個我はブラフマンの部分であって、両者は異なっていると同時に不異であるとする、ベーダーンタ学派の一学説。

不可見力(ふかけんりょく) (アドリシュタada)
 バイシェーシカ学派によれば、物質の原子は他の原子と結合して複合体を形成し、これによって宇宙の物質的な自然世界が成立するが、この原子の結合運動を最初に引き起こす力をいう。

不二一元論(ふにいちげんろん) (アドバイタ・バーダadvaitavāda)
 ベーダーンタ学派中、シャンカラ(700―750)の哲学説。ウパニシャッドの梵我一如(ぼんがいちにょ)思想にさかのぼり、宇宙の根本原理ブラフマンと個人の本体アートマンとはまったく同一であり、ブラフマン=アートマンのみが実在し、それ以外のいっさいは無明(むみょう)によって誤って想定されたもので、幻影のように実在しないとする。

プラクリティ
 ⇒根本原質(こんぽんげんしつ)
ブラフマン* Brahman
 元来はベーダ聖典の祈祷(きとう)の文句ならびにその神秘力を意味したと思われるが、祭式万能主義的傾向が強まるとともに神々をも支配する力とみなされ、ブラーフマナの時代には宇宙の根本原理となり、ウパニシャッドで重要視され、さらにブラフマンはアートマンと同一であるとする梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想が形成された。ベーダーンタ学派はブラフマンを研究の対象としている。

プルシャ Purua
 神我(しんが)と漢訳。種々の意味を有するが、サーンキヤ学派では、宇宙の物質的原理プラクリティに対立する精神的原理。知を本性とし、まったく無活動であるが、日常においてはプラクリティと結合しているために、本来の純粋精神性を発揮できず、苦を経験し、輪廻(りんね)しているという。

法(ほう)* (ダルマdharma)
 語源的には「保つ、支持する」を意味する動詞の語根ドリdhから派生した名詞。したがって「保つもの」とくに人間の行為を保つもの、行為の規範、たとえば慣例、習慣、義務、社会制度、法律などを意味する。さらに、これらの規範が目ざす善、徳、正義をさすこともある。また人倫を実現するように人間を保つものとしての絶対者・真理を意味し、宗教的行為の規範であることから祭式規定、祭事行為、宗教を意味する。この規範を説く教説もダルマである。ヒンドゥー教では人生の三(四)大目標の一つとされている。

梵我一如(ぼんがいちにょ)
 宇宙の根本原理ブラフマンと個人の本体アートマンとが同一であるとする、ウパニシャッドの中心的教説。

マーヤー māyā
 神のもつ人間を迷わす神秘的幻力(げんりょく)。シャンカラ派では、後世になると宇宙の質料因とみなされ、無明(むみょう)の同義語とされ、ブラフマン=アートマン以外のいっさいのものはこの仮現(けげん)であるとされる。

無明(むみょう)* (アビディヤーavidyā)
 正しい知識の欠如を意味する場合があり、仏教では十二因縁(いんねん)の第一支とされる。ヨーガ学派では煩悩(ぼんのう)のなかでももっとも根本的なもので、単なる知識の無ではなく、知識に対立する別種の知識として実在する。シャンカラは付託(アディヤーサadhyāsa増益(ぞうやく))と同義と解し、甲のなかに乙を想起することとして、一種の心理・認識上の誤謬(ごびゅう)としているが、彼の後継者たちは宇宙の質料因とし、マーヤーと同一視する。キリスト教の原罪と比較されることがある。

瑜伽(ゆが)
 ⇒ヨーガ
ヨーガ* yoga
 瑜伽(ゆが)と音写。馬などを「つなぐ、結び付ける」を意味する動詞から派生した名詞で、『ヨーガ・スートラ』では心の作用を抑制することと定義している。心を統一し、三昧(さんまい)に達することを意味する。その起源は古く、インダス文明にさかのぼるともいわれる。

量(りょう)
 ⇒認識手段(にんしきしゅだん)
リンガ* linga
 目印の意味から、論理学では証因。「あの山は火を有する。煙のゆえに」という推理の場合、主題となっている「あの山」(宗(しゅう))に「火」という性質(所立法(しょりゅうほう))があることを立証するための目印、すなわち証因「煙」をいう。火という性質と煙という性質の間には遍充(周延)関係(ビヤープティvyāpti)がなければならない。サーンキヤ学派では微細身(びさいしん)の意に用いる。ヒンドゥー教ではシバ神の象徴としての男根。

輪廻(りんね)* (サンサーラsasāra)
 人間が生死を繰り返すという思想。ウパニシャッドの時代に成立して以来、仏教、ジャイナ教を含め、インドの宗教、思想の根底をなしている。

類比(るいひ) (ウパマーナupamāna)
 譬喩量(ひゆりょう)と漢訳。認識手段の一つ。未知の甲(例、水牛)と、以前からよく知っている乙(例、牛)との類似性に基づいて甲を知る手段。推論のなかに含める学派もある。

六句義(ろっくぎ) (サットパダールタapadārtha)
 バイシェーシカ学派で説く、実体(ドラビヤdravya)、属性(グナgua)、運動(カルマンkarman)、普遍(サーマーニヤsāmānya)、特殊(ビシェーシャviśea)、内属(サマバーヤsamavāya)という六つの範疇(はんちゅう)(句義)をいう。

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