カルマン(英語表記)Theodore von Kármán

改訂新版 世界大百科事典 「カルマン」の意味・わかりやすい解説

カルマン
Theodore von Kármán
生没年:1881-1963

ハンガリー生れの流体力学航空工学者。1936年アメリカ市民となる。1902年現在のブダペスト工科大学の前身校を終え,06年ゲッティンゲン大学に留学して数学,物理学を研究,L.プラントル,D.ヒルベルト,F.クラインらの影響を受けた。08年学位を得て員外講師となり,次いで12年アーヘン工科大学教授に迎えられ航空研究所長を兼ねた。30年アメリカに移りカリフォルニア工科大学のグッゲンハイム航空研究所長に就任,以後,アメリカの航空工学の最高指導者として活動した。基礎的な研究業績のほか,空軍,海軍の研究施設の建設,長距離ロケット計画,科学技術審議会の運営,NATOの航空開発審議会などの仕事をしている。

 研究分野は,応用数学,物理学の基礎的な面から応力解析,弾性論,振動論などの応用面,また理想流体粘性流体,圧縮性流体,乱流理論などの流体力学,さらに熱伝達,燃焼理論,航空力学など多方面にわたり,とくにカルマン渦列の安定性(1911),摩擦抵抗の理論(1921),力学的相似による乱流理論(1930),等方性乱流の統計理論(1938),遷音速相似則(1947)などの研究は著名である。数理科学的な基礎のうえに工学を位置づけたという点で際だち,また多くの研究者を育てアーヘン工科大学,カリフォルニア工科大学を世界の流体力学研究の中心地たらしめるなど,研究組織者としても優れていた。
執筆者:

カルマン
karman[サンスクリツト]

(ごう)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルマン」の意味・わかりやすい解説

カルマン
Karmān, Tawakkul

[生]1979.2.7. タイズ
イエメンの人権活動家。南イエメンの政治的活動家の家庭に生まれた。父は弁護士で,1994年にイエメン内戦が起こる以前は法務大臣を務めていた。1999年にサヌアの科学技術大学を卒業,のちに政治科学の修士号を取得。その後,ジャーナリストとして活躍する。2005年に人権団体「束縛なき女性ジャーナリスト」を仲間と共同で創設,2007年には政府が携帯メールによるニュース配信サービスを禁止したことに抗議する座り込みを毎週行なった。イスラム政党イスラーハに所属するが,女性に対する宗教的制約の一部に異議を唱え,みずからもニカブベール)の着用をやめてヘッドスカーフを着用している。2011年にアリー・アブドゥラー・サーレハ大統領の辞任を求める抗議デモで指導的な役割を果たしたことから,「革命の母」「鉄の女」とも呼ばれる。首都サヌアの中心部でテント暮らしをし,反政府抗議運動の力強いシンボルとなった。同 2011年,「女性の安全のため,平和構築活動に女性が参加する権利のために非暴力で闘ってきた」という理由でリベリアのエレン・ジョンソン・サーリーフ大統領,同国の平和活動家リーマ・ボウイーとともにノーベル平和賞を授与された。アラブ女性として初の平和賞受賞となった。

カルマン
Kármán, Theodore von

[生]1881.5.11. ブダペスト
[没]1963.5.6. アーヘン
ハンガリー生まれの流体力学,航空力学,宇宙工学の理論家。父はブダペスト大学教授兼教育省高官。ブダペスト工科大学,ゲッティンゲン大学,パリ大学に学び,ゲッティンゲン大学の流体力学者,ルートウィヒ・プラントルの助手を務めた。その後故国の鉱山技術大学で教鞭をとり,1912年ドイツのアーヘンで教える。 1930年アメリカ合衆国に渡り,カリフォルニア工科大学グッゲンハイム航空研究所所長。 1932年アメリカ航空科学研究所の,1944年のちのアメリカ航空宇宙局 NASAジェット推進研究所の創設に貢献。 1951年北大西洋条約機構 NATO航空技術研究開発顧問団議長。 1960年国際宇宙アカデミー会長。カルマン渦列 (1911) ,境界層理論 (1921) ,乱流,高速気流の研究 (1937~39) など流体力学の理論的発展に貢献するとともに,航空機発展の理論的基礎を築いた。またロケットエンジンの先駆的研究 (1940) をはじめ,その後カルマンの指導のもとでなされたミサイルなどの軍事開発,宇宙開発に多大な影響を与えた。航空工学,宇宙工学の国際的研究組織の実現にも尽力した。 1963年初のアメリカ科学賞受賞。

カルマン

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルマン」の意味・わかりやすい解説

カルマン
かるまん
Theodore von Kármán
(1881―1963)

アメリカの航空学者。ハンガリーのブダペストに生まれる。ブダペスト工科大学を卒業後ドイツのゲッティンゲン大学に学び同大学に勤務、1913年アーヘン工科大学教授。1930年アメリカに渡り、カリフォルニア工科大学教授とガッゲンハイム航空研究所長に就任した。流体が物体の周りを流れるとき後方に発生するカルマン渦(うず)の静止位置を計算したのをはじめ、流体力学、航空学全般にわたって独創的な業績をあげている。1928年(昭和3)に来日し、神戸の川西飛行機製作所で風洞の設計にあたった。

[佐貫亦男]

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百科事典マイペディア 「カルマン」の意味・わかりやすい解説

カルマン

イエメンのジャーナリスト,女性人権活動家。イエメンのタイズに生まれる。母はサレハ政権で法制長官を務めた政治家・弁護士。2005年,首都サナアで〈束縛されない女性ジャーナリスト〉という女性ジャーナリストを結集した人権団体を組織,言論の自由と民主的権利を要求する運動を展開,サレハ政権による弾圧に屈せず,抵抗運動を続けた。2011年の〈アラブの春〉では,若者たちの反政府運動を統合し,国際的な情報発信の中心となった。2011年ノーベル平和賞受賞。

カルマン

ハンガリー生れの米国の応用力学者。ゲッティンゲン大学でプラントルの指導を受け,1930年渡米し,カリフォルニア工科大学グッゲンハイム航空研究所長となる。カルマン渦(1911年),翼・乱流・境界層・高速気流の理論など流体・航空力学全般,弾性論に多くの独創的業績をあげた。

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世界大百科事典(旧版)内のカルマンの言及

【業】より

…行為を意味するサンスクリットのカルマンkarmanの漢訳語。善人も悪人も死んでしまえばみな同じだというのは不公平だという考えをもとに,インドではブラーフマナ文献あたりから因果応報思想が見え始める。…

【カルマン渦】より

…流体中を適当な速度範囲で運動する柱状体の背後にできる,回転の向きが反対の2列の渦。この渦が交互に発生して,図のような配置をとることは20世紀初め,イギリスのH.R.A.マロックやフランスのH.ベナールによっても観察されていたが,1911年T.vonカルマンが完全流体の場合について渦の安定・不安定を理論的に導いたことからこの名がある。その理論によれば,渦列の幅をh,列内の渦間隔をlとしたとき,h/l=0.281で,しかも図に示したような配置のもの以外は不安定となる。…

※「カルマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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