こどもの城(読み)こどものしろ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「こどもの城」の意味・わかりやすい解説

こどもの城
こどものしろ

1979年(昭和54)の国際児童年を記念し、児童福祉法に基づく大型児童館として東京都渋谷(しぶや)区に1985年11月に開館し、2015年(平成27)2月に閉館した日本で唯一の国立総合児童センター。核家族化が進み子育て環境や子供の遊びが急速に変わりつつあった1970年代後半に、「遊びこそ文化の原点、成長に欠かせない栄養」という観点から、さまざまな遊びのプログラムを開発・検証し、センター児童館として全国の児童館に発信するのがおもな役割であった。全国に4318か所(厚生労働省「平成23年社会福祉施設等調査の概況」)ある児童館のセンター館として位置づけられ、財団法人児童育成協会が国の委託を受けて運営を行った。それぞれの部署で児童館職員や保育士をはじめ、子供の成長にかかわる専門職、ボランティアなどの人材育成を担ってきた。ここから新たに創造された子供の遊びプログラムは、3500以上に上る。全国で2万人以上の専門職がここで研修を受けたほか、全国に出張巡回する「動くこどもの城」事業を通して、全国約51万人以上がこどもの城のプログラムを受講した。

 青山通りを挟んで青山学院大学の向かい側に位置し、東京ウィメンズプラザ、国連大学と隣接するモダンな建物は、地下4階地上13階建て、敷地面積9900平方メートル、延床面積4万1700平方メートル。建物内には体育室やプール、音楽や造形のためのスタジオ、プレイホール、ビデオライブラリーのほか、小児保健クリニックや保育研究開発の部門、青山劇場青山円形劇場という二つの劇場やホテルなども併設されていた。施設を利用するには、3歳以上の子供400円、大人500円と有料であったが、一度料金を支払えば一日中遊ぶことができること、渋谷、表参道という商業地の近くでありながら子供連れで訪れやすいことから、毎日大勢の親子連れでにぎわい、総入館者数はおよそ2800万人にも上る。皇族の子女も多く訪れ、施設を利用した。敷地の入口には岡本太郎が制作し「こどもの樹」と命名した、いくつもの子供の顔が実っているかのような象徴的なモニュメントが建てられていた。

 民主党政権下(2009年9月~2012年12月)では「事業仕分け」の対象とされたものの「存続」が決まっていたが、厚生労働省が2014年9月28日に、2015年3月31日での閉館を発表した。厚生労働省雇用均等・児童家庭局育成環境課は、閉館の理由として「開館当時と比べて子供の遊び方や遊び場の多様化など、子供を取り巻く環境が大きく変化したこと」「地方自治体で児童館や地域子育て支援拠点の整備が進んだこと」「建物の老朽化」の三つをあげているが、実際の閉館理由は法的根拠の変更であった。2015年4月1日施行の「子ども・子育て支援法」において、こどもの城運営の法的根拠となっていた児童手当法第29条の2が変更され、国の児童館への予算づけができなくなった。そのため児童育成協会だけではとても運営ができず、閉館せざるをえないというのがその理由であった。閉館を惜しむ声は強く、署名活動でこどもの城の復活を目ざす有志の会の活動も続いている。

[猪熊弘子 2017年4月18日]

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デジタル大辞泉プラス 「こどもの城」の解説

こどもの城

東京都渋谷区にあった大型の児童育成施設。1979年の国際児童年を記念して計画され、1985年11月に開館。宿泊施設や劇場も備え、スポーツ、創作などさまざまな子どものための講座やイベントを展開。全国の児童館の中核的役割を果たしたが、2015年2月閉館。併設の青山劇場、青山円形劇場も同年3月に閉館した。

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