いろは茶屋(読み)いろはじゃや

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「いろは茶屋」の解説

いろは茶屋
いろはじゃや

歌舞伎浄瑠璃外題
初演
元禄11.1(京・早雲長太夫座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のいろは茶屋の言及

【芝居茶屋】より

…資料の明確な大坂に例をとると,幕府は,一時74軒にもなったこれらの水茶屋を道頓堀から退去させ,92年(元禄5)改めて12軒の水茶屋を,5年後に46軒を追加して計58軒を公許した。これが〈いろは茶屋〉である。これとても道頓堀の浜納屋に三方よしず張り,床几で茶など出す程度。…

【谷中】より

…以来,毘沙門天をまつる巨刹として知られることとなったが,富くじ興業の勧進元としても有名で,のちに湯島天神,目黒不動とともに〈江戸の三富〉といわれた。その門前には感応寺表門前新茶屋町(俗称いろは茶屋)などの岡場所も発達し,遊客でにぎわった。1878年の郡区町村編制法によって,谷中地域に下谷,上野など周辺地域を合わせ下谷区(東京府)が成立した。…

※「いろは茶屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」