龐勛(読み)ほうくん(英語表記)Pang Xun; P`ang Hsün

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「龐勛」の意味・わかりやすい解説

龐勛
ほうくん
Pang Xun; P`ang Hsün

[生]?
[没]咸通10 (869)
中国,末の農民兵士反乱の指導者。徐州(江蘇省銅山県)の出身。南詔侵攻を防ぐため,徐州を中心とする武寧軍藩鎮の兵士が広西方面に出征したとき,龐勛はその糧料判官であったが,交代期を 2年経過し,さらに 1年延長された兵士たちが反乱を起こしたので,その指導者となった。チャン(長)江を下って淮南に入り,徐州を攻略,民衆や土豪の支持を受け,群盗も参加して一時大勢力となった。しかし支配地域から強制徴兵収奪をしたため民心を失い,沙陀族らの唐朝軍と戦って敗死

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世界大百科事典(旧版)内の龐勛の言及

【黄巣の乱】より

…唐朝は江淮(こうわい)地方を主要な財源地帯として国運の維持を図ったので,9世紀になると政治矛盾はこの地方に集中するようになった。黄河・淮河・長江(揚子江)と大運河とが交わる地域は,専売品である茶・塩の密売人や亡命軍人など反政府勢力が暗躍し,浙江の裘甫(きゆうほ)の乱,徐州の龐勛(ほうくん)の乱などの地域的反乱をひき起こした。こうした情勢が全国的な暴動と化したのが,黄巣の乱である。…

【龐勛の乱】より

…中国,唐末の民衆反乱。南詔防衛のため桂州(広西チワン(壮)族自治区桂林)に派遣されていた徐州の兵士2000人が,約束の3年を過ぎても帰還が許されないので,868年(咸通9)軍糧担当官の龐勛を首領に頂き,長江(揚子江)を下って自主帰還を敢行した。徐州軍節度使はこの行動を認めず戦端が開かれた。…

※「龐勛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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