新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「黒田 清輝」の解説
黒田 清輝
クロダ セイキ
- 肩書
- 貴院議員,帝国美術院院長,東京美術学校教授
- 別名
- 幼名=新太郎 号=水光
- 生年月日
- 慶応2年6月29日(1866年)
- 出生地
- 薩摩国鹿児島高見馬場(鹿児島県鹿児島市)
- 学歴
- 二松学舎 東京外国語学校
- 経歴
- 伯父の子爵・黒田清綱の養子となり、明治5年上京、二松学舎、築地英学校、東京外語などで学ぶ。17年法律研究のためパリに留学するが、洋画に転じラファエル・コランに師事。26年帰国、27年久米桂一郎と画塾・天真道場を開設。28年内国勧業博覧会に「朝妝」を出品、裸体画論争を起こす。29年白馬会を結成し、また同年東京美術学校(現・東京芸術大学)に西洋画科を開設、のち主任教授に就任。その後、文展審査員、43年帝室技芸員、大正2年国民美術協会会頭を歴任。8年帝国美術院の創立に尽力して会員となり、11年森鷗外を継いで院長となる。また、6年子爵を継ぎ、9年貴院議員となり、社会事業調査会委員、臨時教育行政調査委員を務めたほか国際文化交流に貢献した。代表作に「読書」(24年)「舞妓」(26年)「湖畔」(30年)「鉄砲百合」(42年)など。
- 没年月日
- 大正13年7月15日
- 家族
- 養父=黒田 清綱(歌人・子爵)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報