黒口村(読み)くろくちむら

日本歴史地名大系 「黒口村」の解説

黒口村
くろくちむら

[現在地名]西海町黒口郷くろくちごう

天窪あまくぼ村の南に位置し、西に開く狭い入江がある。江戸時代は大村領の外海そとめに属する。元和八年(一六二二)のドミニコ会宛の大村ロザリオ組中キリシタン連判書付に「くろくち村」の「石橋十良兵衛るいす」が署名している。寛永五年(一六二八)キリシタン詮索の申渡しでは黒口村の肝煎が署名している(「切支丹法度書」大村見聞集)

黒口村
くろぐちむら

[現在地名]新城市牛倉うしぐら

牛倉うしぐら村の北、真国さねくに村の東の山間部にある。近世を通じて新城藩領。牛倉村の慶長九年(一六〇四)の検地帳中に「くろ口」として畑六筆、七畝一七歩がみえ、「下畑 くろ口 拾八歩 黒口村七郎左衛門」と黒口村の名も記されている。寛永五年(一六二八)牛倉村から分村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報