鶴沢友次郎(6世)(読み)つるざわともじろう[ろくせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴沢友次郎(6世)」の意味・わかりやすい解説

鶴沢友次郎(6世)
つるざわともじろう[ろくせい]

[生]1874. 京都
[没]1951.10.8.
義太夫節三味線方。本名山本大次郎。京都東洞院五条の出身で,父は三味線弾きの 2世鶴沢大造。最初 7世鶴沢三二の弟子となり,次いで 1886年 5世豊沢広助門下に入り,鶴沢小庄の名で御霊文楽座(→文楽座)に出勤。1893年 3世鶴沢大造,1898年 4世豊沢猿糸を襲名。1912年に由緒ある名跡鶴沢友次郎の 6世を継ぐ。大正初期から 3世竹本津太夫の相三味線となったが,1924年津太夫紋下(櫓下)になると病弱を理由に相三味線の地位を 6世野沢吉兵衛,次いで 1世鶴沢道八に譲る。1926年三味線紋下に据えられ,1927年からは再び津太夫を弾くようになり,1940年に引退するまで相三味線を務めた。派手さはないが,深い解釈によって文章をいかし,太夫を引き立てる三味線方として評価が高かった。文楽座一筋の正統な芸の伝承者として尊崇を集め,引退後も文楽座の若手や娘義太夫家など多くの後輩が指導を受けに訪れた。『文楽の鑑賞』(1944,山口広一著)などに優れた芸談を残している。(→浄瑠璃人形浄瑠璃文楽

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