鵜渡川原村(読み)うどがわらむら

日本歴史地名大系 「鵜渡川原村」の解説

鵜渡川原村
うどがわらむら

[現在地名]酒田かめさき一―七丁目・入船町いりふねちよう千石町せんごくちよう一―二丁目・堤町つつみちよう若原町わかはらちよう・みずほ・ね町ねまち若竹町わかたけちよう一―二丁目・松原南まつばらみなみなど

南流する新井田にいだ川が最上川に流入する辺りの東岸に位置し、亀ヶ崎城の南東にあたる。鵜渡河原村とも記した。かつては大町おおまち村の枝郷で、正保郷帳でも大町村の内とされる。慶長六年(一六〇一)志村光安が東禅寺とうぜんじ(のちの亀ヶ崎城)に入ると、家臣を最上地方から当地に移住させた。元和八年(一六二二)の酒井氏入部後は亀ヶ崎城に城代を置き、当地の給人二〇〇人余を城付の足軽として明治維新まで続いた(飽海郡誌)。寛永元年庄内高辻帳に鵜土川原・同屋敷尻・中川原として八二九石余が載る。正保五年(一六四八)の土目録(飽海郡誌)では一千二〇七石余、免四ツ一分。貞享年間(一六八四―八八)には一千一五七石余、うち六六七石余は御足軽作高。残り四八九石余、家数五八のうち本百姓は一一(「村組付」同書)。享和三年(一八〇三)の家数八七・人数三八八(「村数家数人高控帳」斎藤文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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