高槻遺跡(読み)たかつきいせき

日本歴史地名大系 「高槻遺跡」の解説

高槻遺跡
たかつきいせき

[現在地名]八幡東区松尾町など

板櫃いたびつ川上流の支流槻田つきだ川の両岸一帯を占め、東西三キロ・南北二キロの範囲にまたがる。昭和四年(一九二九)に名和羊一郎によって発見。平成一二年度までに一二次の調査を実施。一次の清田町きよたまち(現清田)の調査では箱式石棺四基と袋状竪穴が確認され、八次の調査で初めて石器工房跡と推定される楕円形土坑が出た。当遺跡は弥生時代前期末から古墳時代前期まで続き、とくに弥生時代前期末の壺は高槻式土器とよばれ、肩部に貝描や篦描の木葉文・羽状文・重弧文などを施す装飾壺として著名。その分布は遠賀おんが川下流域から響灘沿岸、および山口・愛媛両県の周防灘沿岸部まで広がる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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