駿府城内遺跡(読み)すんぷじようないいせき

日本歴史地名大系 「駿府城内遺跡」の解説

駿府城内遺跡
すんぷじようないいせき

[現在地名]静岡市駿府公園・追手町・城内町

駿府城跡にある遺跡。静岡平野は安倍あべ川の扇状地を中心に形成されているが、その扇央部の最も安定した位置に駿府城が築かれた。かつての今川氏居館跡地に天正年間(一五七三―九二)徳川家康によって築城され、慶長年間(一五九六―一六一五)には家康の駿河隠居に伴って天下普請として大改修が行われた。しかし明治以後建物は破壊され、堀の一部は埋められた。昭和五五年(一九八〇)以来、数次にわたって三の丸を中心に城域が発掘調査された。その結果、この地域に弥生時代中期から近現代まで連綿と続く生活の痕跡が残されていたことが判明。とくに遺構としては、弥生中期の竪穴住居跡方形周溝墓、弥生後期の竪穴住居跡・倉庫・川・溝・方形周溝墓、古墳時代の水田跡・竪穴住居跡・祭祀場などに続いて、奈良・平安時代には石詰めの土塁とセットになった区画溝が発見されたことから大規模建物の存在が推定され、墨書土器や硯、祭具の土馬、布目瓦など官衙跡を予測させる遺物も多数出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報