香呂村(読み)こうろむら

日本歴史地名大系 「香呂村」の解説

香呂村
こうろむら

[現在地名]香寺町香呂

広瀬ひろせ村の西に位置し、村の中央部を矢田部やたべ川が南流する。「新撰姓氏録」右京皇別佐伯直の条によると、応神天皇が国境を定めるため巡幸の際、「針間国神崎郡瓦村東崗」の上に到達した時、青菜の葉が崗辺の川から流れ下ってきたので、川上に人あるべしと詔したという。このかわら村は現香呂に、東崗は現在の香寺中学校の西の小丘に比定される。中世は的部南条いくはべなんじよう郷に含まれた。永禄元年(一五五八)五月五日の小南春盛名主職宛行状(芥田文書)に香呂村とみえ、小南越中守春盛は南条郷香呂村藤兵衛名職を野里のざと(現姫路市)の鋳物師芥田五郎衛門へ宛行っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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