飯盛里安(読み)いいもりさとやす

日本大百科全書(ニッポニカ) 「飯盛里安」の意味・わかりやすい解説

飯盛里安
いいもりさとやす
(1885―1982)

化学者。石川県に加藤里衡の二男として生まれ、飯盛挺造(1851―1916)の養子となる。1910年(明治43)東京帝国大学理科大学化学科を卒業、大学院に進み、1914年(大正3)母校講師、1917年理化学研究所員、1922年同主任研究員となった。この間、イギリスに留学し、ケンブリッジ大学オックスフォード大学冶金(やきん)学および放射体化学を学び、帰国後、日本産放射性鉱物の放射性・発光性に関する研究を行い、1921年感光発電池の研究で日本化学会桜井褒賞を得た。1944年(昭和19)には希元素の研究で朝日文化賞、1945年には「稀(き)元素鉱物殊に放射性及発光性鉱物に関する研究」で学士院賞受賞した。1945年理研稀元素工業株式会社取締役会長に就任著書に『分析化学』『放射化学実験法』『天然物放射能』などがある。

[道家達將]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯盛里安」の解説

飯盛里安 いいもり-さとやす

1885-1982 大正-昭和時代の化学者。
明治18年10月19日生まれ。大正3年母校東京帝大の講師となり,8年イギリスに留学,F.ソディに師事した。11年理化学研究所主任研究員。昭和20年放射性・発光性鉱物の研究で学士院賞を受賞。昭和57年10月13日死去。96歳。石川県出身。著作に「天然物放射能」など。

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