顧郷屯遺跡(読み)こきょうとんいせき(英語表記)Gù xiāng tún yí zhǐ

改訂新版 世界大百科事典 「顧郷屯遺跡」の意味・わかりやすい解説

顧郷屯遺跡 (こきょうとんいせき)
Gù xiāng tún yí zhǐ

中国,黒竜江省ハルビン市の南西約5km,顧郷屯何家溝にある旧石器時代の遺跡クシャントンともいう。1934-35年に,徳永重康直良信夫によって調査された。温泉河岸の低地にあり,表土下の砂層ないし砂質粘土層中からマンモス,毛サイなどの化石獣骨とともに,チャート,玄武岩,石英などの石器,石片および骨角器と称するものが出土した。骨角器の中で明らかな人工品は2点ほどしかなく,他の多くは不明なものであるが,石器群は石刃石核,石刃,搔器を含む典型的な後期旧石器の内容をもっている。また毛サイとの伴出関係は確実ゆえ,1万5000年以前の年代をもつものであろう。この遺跡について,かつて中期旧石器文化とか中石器文化とか憶測されたことがあるが,再度検討の必要がある。また内モンゴル自治区フルンブイル盟のジャライ・ノール遺跡も,毛サイ,マンモス,野牛の化石骨とともに柳枝製編物や骨角器が出土し,中期旧石器文化ないし中石器文化と推定されたが,化石骨と伴出関係の明らかなものについては再度検討を必要としよう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「顧郷屯遺跡」の意味・わかりやすい解説

顧郷屯遺跡
こきょうとんいせき

中国、黒竜江(こくりゅうこう/ヘイロンチヤン)省ハルビン市の南西5キロメートルの顧郷屯何家溝にある新石器時代初期の遺跡。1931年にアーネルトE. E. Ahnert、ルカシキンA. S. Loukashikin、尹賛勲(いんさんくん)らはこの地を調査して化石獣骨を多数採集した。その後、1933年(昭和8)に徳永重康(しげやす)、直良信夫(なおらのぶお)らの満蒙(まんもう)学術調査団が大規模な発掘を行い、石器や骨角器などの遺物を発見している。遺跡は温泉河畔の低湿地に位置し、黒色表土の下にある粘土層や砂層からマンモス、毛サイ、ウマウシシカなどの化石や石器、骨角器が出土している。石器類には小形の刮削(かっさく)器、石片、石核があり、中国の北辺に分布する新石器時代初期の細石器文化に属するものと考えられている。

[飯島武次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「顧郷屯遺跡」の意味・わかりやすい解説

顧郷屯遺跡
こきょうとんいせき
Gu-ging-tun

中国黒竜江省ハルビン(哈爾浜)特別市の南西約 5kmにある遺跡。1931年に E.E.アーネルト,A.S.ルカシキン,尹賛勲らによって動物化石が発見され,1933~34年には徳永重康,直良信夫が大規模な調査を行なった。マンモス,毛サイ,ウマ,ウシなど五十余種の動物化石が出土し,18個の石器も発見されている。出土した動物化石は更新世のものであるが,石器類は新石器時代初頭の竜江期に属するものと考えられ,不明瞭な点が多い。

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