青山宗俊(読み)あおやま むねとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青山宗俊」の解説

青山宗俊 あおやま-むねとし

1604-1679 江戸時代前期の大名
慶長9年11月6日生まれ。青山忠俊長男。父が徳川家光勘気にふれ,ともに蟄居(ちっきょ)したが,のちゆるされ書院番頭(ばんがしら),大番頭となる。正保(しょうほ)5年信濃(しなの)(長野県)小諸(こもろ)藩主。のち大坂城代をつとめ,延宝6年遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松藩5万石の藩主青山家初代となる。延宝7年2月15日死去。76歳。

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367日誕生日大事典 「青山宗俊」の解説

青山宗俊 (あおやまむねとし)

生年月日:1604年11月6日
江戸時代前期の大名
1679年没

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世界大百科事典(旧版)内の青山宗俊の言及

【大坂城代】より

…この地位の重要性により,最高15万石,最低は仮役の場合であるが2万石,だいたいにおいて5万~11万石の譜代大名が任命された。任期は不定で,寛永・正保期の阿部正次(21年),寛文・延宝期の青山宗俊(16年),元禄~正徳期の土岐頼隆(21年)が長期間であるが,1年未満もあり,数年で動く例が多かった。承応~万治期には水野忠職,内藤忠興,松平光重の3名が,3年ついで1年で交代し勤務していたこともあった。…

※「青山宗俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」