青地城跡(読み)あおじじようあと

日本歴史地名大系 「青地城跡」の解説

青地城跡
あおじじようあと

[現在地名]草津市青地町

上田うえだに位置する中世の平山城で、湖南丘陵の最北端、低丘陵先端部を利用して築かれている。現在は志津しづ小学校が建ち、ほとんど旧状をとどめていないが、明治三七年(一九〇四)の測量図が残り、改変前の地勢がある程度把握できる。同図によると、丘陵先端部の高まりを利用して三ヵ所に平坦部があり、城主の館と軍事的設備をもった建物が想定されている。北側前面に大きな池(現在も一部が残る)があり、小学校の南にも堀跡とみられるものが残ることから、周囲に堀をめぐらしていたとみられ、城の規模は方二町程度と推定される。青地忠綱の築城とも、応仁の乱後の築城ともいわれる(「近江栗太郡志」など)

当城を根拠とした青地氏は佐々木氏の支流馬淵氏を祖とするという。馬淵氏は佐々木定綱の五男広定が馬淵氏を称したのに始まり(正応本佐々木系図)、広定の四男基綱が青地右馬助の養子となり青地氏を継いだという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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