霞ヶ関二丁目(読み)かすみがせきにちようめ

日本歴史地名大系 「霞ヶ関二丁目」の解説

霞ヶ関二丁目
かすみがせきにちようめ

[現在地名]千代田区霞が関一丁目

明治五年(一八七二)に成立。東を内山下うちやました町二丁目、北を西日比谷にしひびや町、西を霞ヶ関一丁目、南を内幸うちさいわい町二丁目に囲まれる。西側の通りを北上すると外桜田そとさくらだ門を経て皇居外苑こうきよがいえんへ、南下するととら門を経て芝方面へ至る。寛永期(一六二四―四四)には陸奥中村藩相馬家・大和郡山藩水野家・飛騨高山藩金森家・備中成羽藩(のち備中松山藩)水谷家の上屋敷があり(寛永江戸図)、延宝年中(一六七三―八一)まで変わらない。その後相馬家屋敷は幕末まで存続ほか出入りがあるが、南東部は文政五年(一八二二)に常陸下館藩石川家、南西部は同一〇年に遠江横須賀藩西尾家の上屋敷となり幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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