雲林院跡(読み)うりんいんあと

日本歴史地名大系 「雲林院跡」の解説

雲林院跡
うりんいんあと

京都市北区にあった寺。位置は大徳だいとく寺の南、船岡ふなおか山の東と推定され、本尊観音菩薩と伝える。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔紫野院〕

初め淳和天皇の離宮として創建され、紫野むらさきの院と称した。「類聚国史」には天長六年(八二九)一〇月一〇日に「幸泥濘池、羅猟水鳥、御紫野院」とみえ、その後同九年四月一一日に「鸞駕幸紫野院、御釣台、院司献物、命陪従文人詩、御製亦威、賜禄有差、新択院名、以為雲林亭」とあり、このとき雲林亭と改称された。同書には歴代天皇・皇后などの行幸・遊宴の記事が散見し、天長九年四月一四日の淳和皇后正子内親王の行啓には耕田の礼が催され、農業の風を覧じている。雲林亭は次の仁明天皇の代に皇子常康親王に伝領されて雲林院ともよばれ、貞観一一年(八六九)二月に親王が出家して仏寺となり、遍昭に付属された。元慶八年(八八四)遍昭の奏請により官寺となり、仁和二年(八八六)八月、当時遍昭が元慶がんけい(現京都市山科区)に住していたことからその別院とし、年分度者三人も与えられ、天台宗寺院として隆盛した(「三代実録」仁和二年四月三日条・同年八月九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報