20世紀日本人名事典 「関根 正二」の解説
関根 正二
セキネ ショウジ
大正期の洋画家
- 生年
- 明治32(1899)年4月3日(戸籍=4月10日)
- 没年
- 大正8(1919)年6月16日
- 出生地
- 福島県西白河郡大沼村搦目(現・白河市)
- 出身地
- 東京・深川
- 主な受賞名〔年〕
- 樗牛賞〔大正7年〕
- 経歴
- 明治41年一家で上京、45年小学校の同窓で親友の伊東深水の紹介で東京印刷会社図案部に入り、錦城中学夜間部に通う。初め日本画、ついで洋画を志し、本郷洋画研究所に通う。同僚のアナーキストの洋画家小林専の影響を受けて次第にデカダンスの傾向が深まり、大正2年退職し無銭旅行に出る。3年太平洋画研究所に入ったがすぐやめ、4年二科展に「死を思ふ日」を出品。同展に特陳された安井曽太郎の滞欧作に刺激を与えられた。同年村岡黒彰らと文芸同人誌「炎」を創刊。7年蓄膿症手術後の経過が悪く、また失恋の傷心も重なりノイローゼとなる。同年秋の二科展に特異な幻想に基づく「信仰の悲しみ」「姉弟」を出品し樗牛賞を受賞。8年「慰められつつ歩む」を完成後、20歳で夭折した。他の作品に「少年」「神の祈り」「三星」「子供」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報