関ヶ浜村(読み)せきがはまむら

日本歴史地名大系 「関ヶ浜村」の解説

関ヶ浜村
せきがはまむら

[現在地名]和木町大字関ヶ浜

瀬田せた村と小瀬おぜ(現岩国市)に挟まれ、小瀬川に北面する。西は関戸せきど(現岩国市)である。岩国藩領。

嘉禎三年(一二三七)の周防石国御庄沙汰人等重申状(厳島神社野坂家文書)に「当御庄内関浜」とあり、石国いわくに庄内の小名として早くから存在している。村名の由来を「玖珂郡志」は「関ケ浜辺、往古入海ニテ、往来ノ賊船ヲ改ケル故ニ、関ケ浜ト云」と記す。船の関所かどうかは別として、関所に関係ある地名であることは間違いなく、隣村関戸であることもそれを証する。小名は寛文八年(一六六八)の「古村記」には江尻えじり宇都原うつのはらとの二つで、六六軒であったが、「享保増補村記」には、ほかに風呂ふろさこ疫神原やくじんばら片山かたやまを加えて一〇五軒、五二二人と記す。庄屋一人、刀禰二人がおり、藤谷組代官の支配下にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報