長連豪(読み)ちょう・つらひで

朝日日本歴史人物事典 「長連豪」の解説

長連豪

没年:明治11.7.27(1878)
生年嘉永6(1853)
大久保利通暗殺者。加賀(金沢)藩士此木連潔の長男維新後,旧姓長氏に改む。藩校明倫堂に学ぶ間に維新を迎え,明治6(1873)年の政変に征韓論派が敗北したのを憤慨,西郷隆盛一派の動向に注目,7年には台湾遠征に参加しようと試みたが果たせなかった。しかし,同年郷里の先輩島田一良と鹿児島を訪問して桐野利秋に親近し,9年にも鹿児島を再訪して西郷らの武力蜂起に期待をかけた。10年,西南戦争勃発に際し島田らと呼応蜂起を企てたが機を逃し,11年5月14日,島田らと東京紀尾伊坂に内務卿大久保利通を要撃して殺害した。斬刑に処せられた。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長連豪」の解説

長連豪 ちょう-つらひで

1853-1878 明治時代士族
嘉永(かえい)6年生まれ。もと加賀金沢藩士。西郷隆盛の影響をうけ,明治10年西南戦争に呼応しようとして失敗。11年同郷の島田一良(いちろう)らと東京紀尾井坂で大久保利通(としみち)を暗殺。同年7月27日処刑された。26歳。能登(のと)(石川県)出身

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