朝日日本歴史人物事典 「長谷川芳之助」の解説
長谷川芳之助
生年:安政2.12.15(1856.1.22)
明治時代の実業家。官営八幡製鉄所立案者のひとり。父は唐津藩士。開成学校から明治8(1875)年米コロンビア大鉱山学科へ留学,独フライブルク大で製鉄業を研究し,帰国翌年の13年三菱入社。吉岡鉱山長,本社副支配人兼尾去沢鉱山長を務め,22年政府の製鉄業への勧誘に岩崎弥之助名で「上申書」を提出,鉱区や資材などに特別保護を願うがいれられず,弥之助も断念(1917年の三菱製鉄成立まで延期)。これを不満として26年退社。日本初の工学博士の肩書で製鉄事業調査会委員として29年3月製鉄所官制公布にこぎつけ,翌30年八幡製鉄所が開庁した。35年衆院議員。<参考文献>『岩崎弥之助伝』『高島炭礦史』,小林正彬『八幡製鉄所』
(小林正彬)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報