長谷川新右衛門(読み)はせがわ しんえもん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川新右衛門」の解説

長谷川新右衛門 はせがわ-しんえもん

1531-1612 織豊-江戸時代前期の殖産家。
享禄(きょうろく)4年生まれ。備後(びんご)(広島県)の人。慶長5年ごろ畳表(たたみおもて)の製法でそれまでの引通(ひきどおし)表にかわって,みじかいイグサを活用した中継(なかつぎ)表の製法を考案し,備後表生産をさかんにした。この功績で7年郷士となる。慶長17年2月13日死去。82歳。名は道久。別名に菅野十郎左衛門

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朝日日本歴史人物事典 「長谷川新右衛門」の解説

長谷川新右衛門

生年生没年不詳
17世紀初頭,畳表の中継表の創案者。備後国沼隈郡山南村(広島県沼隈町)の人。別名を菅野十郎左衛門。それまでの畳表は長い藺草を選んで織る引通表であった。慶長7(1602)年,新衛門が短い藺草を活用した中継表を創案し,備後表の生産が発展した。<参考文献>「畳表由緒書」(『沼隈郡志』)

(葉山禎作)

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