長沢城跡(読み)ながさわじようあと

日本歴史地名大系 「長沢城跡」の解説

長沢城跡
ながさわじようあと

[現在地名]音羽町長沢

現在は国道一号の整備で壊されて堀の一部が残る。「長沢村誌」に「周囲ニ堀アリ。円形ヲ為シ、一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸と三重三堀アリ」と伝えている。一名さくらヶ城ともいわれ、松平和泉守信光の嫡男松平三河守親則の築城という。「三河国二葉松」には「松平上野介康忠先祖代々住居」とある。

「松平記」永禄四年(一五六一)八月の条に「三州長沢城代糟谷善兵衛突て出合戦す。岡崎衆は松平勘四郎、中山に取手をし、是を防度々相戦といへども不叶。家康御出馬被成御攻被成候。(中略)其日城没落し糟谷は駿河へ帰る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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