長和瀬村(読み)ながわせむら

日本歴史地名大系 「長和瀬村」の解説

長和瀬村
ながわせむら

[現在地名]青谷町長和瀬

井手いで村の西、日本海に注ぐ小河川長和瀬川の河口を占める。伯耆街道が通り、西方の伯耆国境までは三町四〇間(因伯地理志)。天正三年(一五七五)中書家島津家久は京・伊勢遊覧の帰路に因幡路を通っている。同年六月一九日、青屋あおやを立った家久は「水無瀬といへる所」から船に乗り伯耆大塚おおつか(現東伯町)に向かっている(家久公上京日記)。「水無瀬」は地内水無瀬みなせと考えられる。藩政期の拝領高は二四〇石余、本免は四ツ九分。藪役銀九匁が課せられ(藩史)、米村氏・小泉氏・辻氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」では家数四八。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳によると生高二六八石余、竈数四八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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