針畑越(読み)はりはたごえ

日本歴史地名大系 「針畑越」の解説

針畑越
はりはたごえ

上根来かみねごりと近江国朽木くつき(現滋賀県高島郡朽木村)を結ぶ街道。「若狭郡県志」に

<資料は省略されています>

とある。このとき朝倉氏に追撃された徳川家康は針畑を越え、自ら太刀をとって戦ったと伝える(若狭国伝記)。「信長公記」は元亀元年(一五七〇)四月晦日のこととして信長が朽木越をして入洛し、同年五月六日には明智光秀・丹羽長秀が若狭国石山いしやま(跡地は現大飯郡大飯町石山)城主武藤友益の母を人質にして針畑を通って京都へ上ったと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報