金ヶ沢村(読み)かねがさわむら

日本歴史地名大系 「金ヶ沢村」の解説

金ヶ沢村
かねがさわむら

[現在地名]広神村金ヶ沢・宮沢新田みやざわしんでん

破間あぶるま川の右岸和田わだ川が合流する三角地帯のほぼ中央にある。周辺数ヵ村の中心集落。慶長五年(一六〇〇)の堀丹後守覚書(堀家文書)によると、越後一揆の際、坂戸さかど(現南魚沼郡六日町)城主堀直寄が下倉したぐら(現堀之内町)を攻略した一揆勢を討取り当地に屍体を捨てたとある。天和三年郷帳では高一一七石三斗余と一三石四斗余に別記され、ほかに同所片貝沢村高三四石三斗がある。

寛保三年(一七四三)糸魚川藩領となり、金ヶ沢組に属した。代官は当村に止宿、金ヶ沢役所と称した。豪雪の時期には代官は糸魚川いといがわへ引揚げ、留守中の藩務や訴願事件は須原組・今泉組・山口組とともに四人の蔵元庄屋が合議によって当たった。

金ヶ沢村
かねがさわむら

[現在地名]いわき市久之浜町金ひさのはままちかねさわ

太平洋に面し、南は久之浜村、北は末続すえつぎ村、西は大久おおひさ村。三方を山に囲まれ耕地は少ない。楢葉ならは郡に属した。近世領主変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)以降幕府領。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録では高七三石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では高一一一石余。正保郷帳では田方九〇石余・畑方二〇石余。元禄郷帳では高一四四石余。

金ヶ沢村
かねがさわむら

[現在地名]矢島町元町もとまち 金ヶ沢

北東流して子吉こよし川に注ぐうぐいす川に沿い、北は九日町ここのかまち村と須郷田すごうだ村に接する。

正保三年(一六四六)の出羽国油利郡之内知行高帳(秋田県庁蔵)に記載なく、同四年の出羽一国絵図にも記されない。元禄一一年(一六九八)の出羽国由理郡仙北郡之内生駒主殿同権之助知行高辻帳(秋田県庁蔵)によれば、本田高辻の部にはなく、新田高辻の部に高一八石八斗四升七合とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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