野口庄(読み)ののくちのしよう

日本歴史地名大系 「野口庄」の解説

野口庄
ののくちのしよう

丹波野口駅(延喜式)付近に成立した皇室領、のち東寺(現京都市南区)領荘園。前身野口牧と考えられる。

早くは建久二年(一一九一)一〇月付の長講堂所領注文(島田文書)に次のようにみえ、公事・夫役の内容も知られる。

<資料は省略されています>

貞応元年(一二二二)の北条時房書下(関戸守彦氏所蔵文書)にも後白河院法華堂、すなわち長講ちようこう(跡地は現京都市下京区)領としてみえる。

<資料は省略されています>

これにより、荘内小山おやま村が守護使不入の地であったことがわかる。おそらく当荘の中心部分であったのであろう。のち、当荘は他の長講堂領とともに、後白河院の皇女宣陽門院に相伝された。なお野口庄埴生はぶ村水田六町が寛喜四年(一二三二)宣陽門院から高山こうざん(現京都市右京区梅ヶ畑栂尾町)に寄進されている(高山寺縁起)

看聞御記」応永二九年(一四二二)九月四日条に「丹波国小河之内三名方」をめぐる庭田重有と四条隆夏との相論記事がある。それによれば、小河おがわは本来重有の知行地であったが、隆夏の愁訴により別納三名が隆夏に付与された。この記事で、小河の個所に「野口五方之内」と注があるのは注目される。すなわち、野口庄は内部に五方を包含し、その内の一が小河方であったのである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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