重永村(読み)しげながむら

日本歴史地名大系 「重永村」の解説

重永村
しげながむら

[現在地名]世羅町重永

賀茂かも村の東に位置し、大田おおた(現芦田川)と支流田打とうち川の合流地付近に展開する農村中世重永庄の中心で、山内氏の勢力下にあった。建武三年(一三三六)一〇月一〇日付の長信仲軍忠状写(山内首藤家文書)に、九月四日の大田・重永境の合戦、同二七日の重永城郭追落しのことがみえる。応仁三年(一四六九)の山名持豊感状(山内首藤家文書)によると、重永神上かみのうえで合戦があり、山内豊成に感状が与えられている。

元和五年(一六一九)の備後国知行帳には重長しげなが村とあり、高一千三四九石四升。「世羅郡誌」によると文政三年(一八二〇)の実畝一一九町八反二畝のうち、田九三町二反九畝一一歩・畑二五町四反七畝一六歩・屋敷一町五畝三歩で、本途物成は六七五石五斗九升一合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報