里野浦(読み)さとのうら

日本歴史地名大系 「里野浦」の解説

里野浦
さとのうら

[現在地名]すさみ町里野

江住えすみ浦の東にあり、枯木かれき灘に南面する漁村。東は和深わぶか(現串本町)、北は大鎌おおがま村。中世末期は周参見氏に支配されたという(続風土記)

慶長検地高目録には「里野浦村」と記され、高一〇一石余、小物成四升九合。「続風土記」によると家数六三、人数二九八。江田組に属した。慶長一六年(一六一一)の加太浦より錦浦迄加子米究帳(栗本家蔵)によると加子役数二二人、代納升高二六・四石。その後の御領分加子米高帳(田中家蔵)では四八・三石。そのほか一艘につき二匁の床銀、漁獲高の五分の一の口前をはじめ、杉丸太・杉板・小割物・舟板・苫・松材などのほか、薪・柴の山方物に対する税を納めた(南紀徳川史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android