朝日日本歴史人物事典 「都怒我阿羅斯等」の解説
都怒我阿羅斯等
(佐佐木隆)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(佐佐木隆)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…とくに九頭竜川の河口の坂井郡三国と嶺南の敦賀郡角鹿(敦賀)とは港として重要な役割を果たした。さらに日本海を通した海外との交流も多く,《日本書紀》には崇神朝に加羅国王子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が笥飯(けひ)浦(敦賀市気比神社付近)に来泊したという伝承が見える。また敦賀には松原客館が置かれ,渤海との交渉の拠点となった。…
…故(かれ),其処をなづけて角鹿と曰ふ〉という所伝を載せる。この人は意富加羅(おおから)国の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)と名のったという。この地が早くから朝鮮方面との交渉をもったことを反映するものである。…
※「都怒我阿羅斯等」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新