那古野庄(読み)なごやのしよう

日本歴史地名大系 「那古野庄」の解説

那古野庄
なごやのしよう

建春門院法花堂領。「弘法大師御入定勘決記」(真福寺蔵)貞治三年(一三六四)の奥書に「於尾張国那古野荘安養寺壇所、忍寒気書写了」、また「釈論開解鈔 第十」(同寺蔵)の応安六年(一三七三)七月三日付の奥書にも「於尾州愛知郡那古野荘安養寺書写畢」とみえ、真言寺院安養あんよう(俗に天王坊、明治維新に廃寺)のかつての所在地、名古屋城内三の丸辺りを含む地域と推定されるが、荘域・規模などは不明。

荘の成立と伝領に関しては現在のところ建春門院法花堂領尾張国那古野庄領家職相伝系図(東洋文庫蔵「江家次第」裏書)が唯一の史料である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報