越中街道(読み)えつちゆうかいどう

日本歴史地名大系 「越中街道」の解説

越中街道
えつちゆうかいどう

高山から越中富山に通ずる街道で、ひがし街道・なか街道・西街道の三道があった。越中への道は古代には塩の道、中世からは北国米の運ばれてくる道、近世は越中の鰤や飛騨の物産が往来した。天正一四年(一五八六)の金森長近の飛騨入国とともに、越中の米・塩・魚等の産物を移入するために整備されたという。

「飛騨国中案内」によると東街道は東大路ともよばれ、高山から北に向かい、七日町なぬかまち桐生きりゆう本母ほのぶ松本まつもと下切しもぎり三川さんがわ(以下現吉城郡国府町)を通って上広瀬かみひろせまで二里。いま八日町ようかまちから巣山すやま(以下現同郡神岡町)山田やまだ伏方ふせがた堀之内ほりのうちなどを通って舟津ふなつ町で高原たかはらふじ橋を渡り、東町ひがしまちから川沿いに北上して二ッ屋ふたつや東漆山ひがしうるしやま茂住もずみ杉山すぎやま横山よこやまを通り、東猪谷ひがしいのたに(現富山県上新川郡大沢野町)に出る。高山―富山間約二二里余の間に二ッ屋・茂住・横山に口留番所が置かれ、国境東猪谷には金沢藩関所があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報